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	<title>教えてお坊さんblog</title>
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	<description>仏教のこと、通夜葬儀、法事、供養、祈祷など分からない仏教に関わることを分かりやすく解説します。</description>
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	<title>教えてお坊さんblog</title>
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		<title>心にゆとりを持つ方法とは！？現役僧侶が実体験をもとに紹介！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/relaxation-of-mind/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[疑問解決コーナー]]></category>
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					<description><![CDATA[現代社会は、昔に比べて日常が目まぐるしく過ぎ、せかせかしている印象を受けます。 というのも、ニュースでよく都会における通勤電車の映像や渋滞した道路の映像を目にしているのもそう思う要因のひとつとなっているでしょう。 また、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>現代社会は、昔に比べて日常が目まぐるしく過ぎ、せかせかしている印象を受けます。</p>



<p>というのも、ニュースでよく都会における通勤電車の映像や渋滞した道路の映像を目にしているのもそう思う要因のひとつとなっているでしょう。</p>



<p>また、会社の出勤や仕事の納期など、常に時間に追われて生活している人も多いのではないでしょうか？</p>



<p>私も僧侶となる前というのは時間に追われ、心に一息入れる暇もなく生活していました。</p>



<p><strong><span class="marker-under">ですが、僧侶となるべく本山に修行に行き、あらゆるしがらみと関係を断ち生活することで、ストレスも感じづらくなり、他者を思いやる余裕すら出てきました。</span></strong></p>



<p>ですので、心にゆとりを持つことで人間性すら変わるのではと私は考えています。</p>



<p>この記事では、日々心に一息つける余裕がない人に向け、私が体験した経験をもとにおすすめの心にゆとりを持たせる方法を紹介していきます。</p>



<h2>心にゆとりを持つ方法</h2>



<p>社会人となり仕事を始めてから、本当の意味で心を休ませたことはありますでしょうか？</p>



<p>ここで言う本当の意味というのはどういうことかというと、心を休める時間を意図的に作っているかということです。</p>



<p>休みの日に家族と出掛けたり、友達と遊んだりと時間を使うこともあると思います。<br>これは普段の忙しい毎日と変わり、他者と関わることで心の活力にはなりますが、心を休めるという観点から言うと少し違う気がします。</p>



<p>では、いったいどうすれば心を休ませ心にゆとりを持たせることができるのか紹介していきます。</p>



<p>私が考える、心にゆとりを持たせる方法は2つあります。</p>



<p>1つ目は、<strong><span class="marker-under">いつもより少し早く起きて、ご先祖さまに手を合わすこと</span></strong>です</p>



<p>これは、意外にできる機会というのはなく、作ろうと思い行動しなければこういう時間というのは作れないでしょう。</p>



<p>まず大切なのは、いつもより早く起きるということです。<br>早朝というのは昼間と違い静まり返っており、なんとも落ち着いた気持ちになるものです。<br>そんな荘厳な雰囲気の朝に、仏壇やお墓に手を合わせましょう。<br>これはやってみると分かりますが、驚くほど無心になれて、心が落ち着くので是非試してください。</p>



<p>2つ目は、<strong><span class="marker-under">お寺や神社のような神聖な場所でお祈りや瞑想をすること</span></strong>です。</p>



<p>お寺や神社のような場所は、いつもの現実と切り離された荘厳な空間にいるような気持ちにさせられるものです。<br>そんな神聖な場所で、お祈りやできるところでは瞑想体験などをすることで、日々の悩みすらちっぽけに思え、心を休ませるという観点でみても無心になり邪なことは考えないため、終わったころには心の違いに気づくことでしょう。</p>



<p>時間が作れたら是非試してみてください。</p>



<h3>私の経験から言えること</h3>



<p>実は、上記のこの二つの方法は私が僧侶となる前、本山で修行していた時に私が実際に感じた、心にゆとりが持てる時の体験をもとにあげさせていただきました。</p>



<p>本山の修行は朝が早く、一日を通して仏さまにお仕えし手を合わせます。</p>



<p>もちろん最初は、朝早く起きるのが辛く心にゆとりを持つ余裕なんてありませんでしたが、これを続けるうちに段々と心が穏やかになっていることに気づきました。<br>そして、いつしか余計なことは考えず無心になれる時間として、日々の生活習慣としてなくてはならないものとなっていったのです。</p>



<p>また、本堂での瞑想も心にゆとりを持つうえで大切な時間でした。</p>



<p>瞑想とは、ご存じの通り心に余計なことを考えず、無心になり自己を高めます。<br>これは言うまでもなく終わった後には心が落ち着き、心休まるものです。</p>



<p>こうして心を休め、ゆとりを持たせることで私は修行の日々で感じたストレスも緩和し、何より他者に対しても配慮できる余裕のようなものまででてきました。</p>



<p>今思えば、辛く苦しい修行を難なく乗り越えることができたのも心にゆとりがあったからこそだと実感します。</p>



<h3>お寺に行ってみよう</h3>



<p>とはいえ、修行というのは誰しも行えるわけでなく、一般の方ではまず体験できないでしょう。</p>



<p>ですが、一般の方でもお寺や神社に行き、場所によっては修行体験やお祈りといったことはできます。</p>



<p>普段なかなかやる気にエンジンが掛からない方でも、そういった場所に行くと真剣になれるものであります。</p>



<p>心に余裕が持てず、どうしようもない時は是非お寺や神社に立ち寄ってみてください。</p>



<p>必ず、心に何かしらの変化が起きることと思います。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>日々生活していてなかなか心にゆとりを持つ余裕というのはないかもしれません。</p>



<p>ですが、私が紹介した方法を空いた時間に取り入れるだけで、驚くほど心が軽くなり、日常の辛く感じていたことに対しても変化が生じてくることでしょう。</p>



<p>この方法によって、私自身も辛い修行の日々を乗り越えましたし、他者を想い行動できる人間になれるよう欠かさず日常に取り入れています。</p>



<p>日々心に一息つける余裕がない人は特に、心にゆとりを持つための方法を実践してみてはいかがでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【あると便利】経机の必要性について現役僧侶が解説！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/keiki/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 27 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[おすすめ仏具]]></category>
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					<description><![CDATA[みなさん法事やお寺の行事の際、お坊さんがお経をお唱えしている時にお経本を机においてそれを見ながらお唱えしている光景を目にしたことがあるかもしれません。 その机のことを仏具として経机と私たち僧侶は呼んでいます。 この経机で [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>みなさん法事やお寺の行事の際、お坊さんがお経をお唱えしている時にお経本を机においてそれを見ながらお唱えしている光景を目にしたことがあるかもしれません。</p>



<p><strong>その机のことを仏具として経机と私たち僧侶は呼んでいます。</strong></p>



<p>この経机ですが、私が月参りや法事で檀家さんのお宅に伺うと、実は大半の家が仏壇の前に置くなどして備えられています。</p>



<p>これは、都会の住宅事情によって仏壇がない家の方には当てはまりませんが、田舎の仏間があるような家ではほとんどの家にある印象を受けます。</p>



<p><strong><span class="marker-under">そんな経机についてこの記事では、本来の使い方や実際に見た事例で間違った使い方をしているお宅の例をあげながら解説していきます。</span></strong></p>



<h2>経机について</h2>



<p>上記でもふれたように、<strong><span class="marker-under">経机とは本来お経本を置きお経を読む際の補助的な仏具であります。</span></strong></p>



<p>ですので、お坊さんが使っている姿を想像すると無駄なものは置かず、経机にお経本のみを置いてお経をお唱えしている光景が想像できると思います。</p>



<p><strong>また、経机の利便性としてあげるならば、お経本を机に置いているので両手が空いている状態となります。</strong></p>



<p><strong><span class="marker-under">その空いた手で印を結んだり、法要の所作を不自由なく行うことができるのです。</span></strong></p>



<p>僧侶となると所作というのは重く捉えており、例えばお数珠などは地べたに置くことは良しとされていませんので、所作を行う時に経机に置いてから始めることで問題なくなります。</p>



<p>このように、お坊さんは経机を最大限に活用していますが、一般のお宅では正直「ん？」となるような使い方をしている場合もありますので、それについても紹介していきます。</p>



<h3>経机の間違った使い方</h3>



<p>私の住んでいる地域は田舎なので、都会の住宅構造と違い仏間があるお宅が多いことから仏壇とセットで経机を仏壇の前に置いているお宅が多い印象を受けます。</p>



<p>経机を置いているお宅はどのような使い方をしているのでしょうか？</p>



<p>私が見た実例をあげると、<strong>仏壇に入りきらなかった位牌や過去帳、線香やロウソクのストックなどを物置のように置いていた</strong>事例があります。</p>



<p>さすがにこの使い方は、間違っていると言えるでしょう。</p>



<p>仏壇は、仏さまやご先祖様の荘厳な世界をあらわすため、物を置きすぎずにすっきりさせたい気持ちは分かりますが、だからといって経机に何でも置くのはどうかと思います。</p>



<p>また、花・香炉・ローソクといった三具足を置いているのも目にしますが、これも本来の使い方から考えると違う気がします。</p>



<p><strong><span class="marker-under">三具足を置くなら、それはそれで台を設けることをおすすめします。</span></strong></p>



<p>経机の本来の使い方を知っている人がこれらの光景を目にしたら、所有者が恥をかくこともあるかもしれません。</p>



<p>本来の使い方を理解し、正しく経机を使えるようになりましょう。</p>



<h3>おすすめ経机の活用方法</h3>



<p>ここでは、経机のおすすめの活用法を紹介します。</p>



<p><strong><span class="marker-under">基本的に経机は、物を置きすぎず、すっきりさせておきましょう。</span></strong></p>



<p>一般の在家の方が使うときは、お経をお唱えする際の補助として使い、お勤めのお経本やお経に使う鐘、拍子木といった仏具のみ置くことが理想であります。</p>



<p>その他にも、御詠歌や梅花をお唱えする方にはちょうどいい机となるでしょう。</p>



<p>経机というのは、座った時に読みやすい高さで作られており、まさにお経や詠歌を唱えるときには最適の机と言えるでしょう。</p>



<p>また、お盆の時期にも経机は大活躍してくれます。</p>



<p>昔は、精霊棚を各家庭で築き、ご先祖さまをお迎えしていましたが、最近では簡素化が進み大々的にお盆の準備をする家庭も少なくなってきました。</p>



<p>そこで経机を精霊棚に見立て、簡素ながらもお盆の飾りつけをコンパクトに準備することができます。</p>



<p>それともう一つ、焼香を置く机としても使うことができます。</p>



<p>焼香においてもちょうどいい高さでありますし、お寺でも経机に焼香を置いている寺院もあるくらいですから、焼香台としても十分に機能を発揮してくれることでしょう。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>この記事では、経机の本来の使い方や間違った活用例、おすすめ活用法を解説してきましたが、自分の自宅の経机を今一度見て確認してみてください。</p>



<p>もしかしたら、間違った例に該当しているかもしれません。</p>



<p>こういった仏具というのは、生きてきて使い方を教わる機会というのはほとんどないと思います。</p>



<p>ですが、この記事を読んだことで正しい経机の使い方をしっかり学ぶことができたとことでしょう。</p>



<p>誰だって恥なんてかきたくないものであります。</p>



<p>また、知らないうちに恥をかいてしまうことを避けるため、この後仏壇へ向かい整理してみてはいかがでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>僧侶は休みの日に何をしている？現役僧侶がそんな疑問にお答えします！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/holiday/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 25 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[疑問解決コーナー]]></category>
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					<description><![CDATA[一般のサラリーマンの公休日は基本的にカレンダー通りの土日祝日が休みになることと思いますが、お坊さんに休みがあるかどうかをご存じでしょうか？ 大多数の人が、お坊さんというのは特殊な職業であり、日々休まず修行している姿を想像 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>一般のサラリーマンの公休日は基本的にカレンダー通りの土日祝日が休みになることと思いますが、お坊さんに休みがあるかどうかをご存じでしょうか？</p>



<p>大多数の人が、お坊さんというのは特殊な職業であり、日々休まず修行している姿を想像する方が多いと思います。</p>



<p>ですが、現代におけるお坊さんのすごし方は昔と大きく変わってきています。</p>



<p><strong>この記事では、日常様式の変化とともに変わってきたお坊さんの日常を含め、お坊さんは休みに何をしているのか？お坊さんという職業の休みの取り方についても現役僧侶が解説します。</strong></p>



<h2>お坊さんの公休日について</h2>



<p>お坊さんには休みがあるの？という疑問を持つ方もいると思います。</p>



<p>昔の僧侶は、それこそ修行に日々明け暮れて、休みなどという概念などなく己を高めるために精進することが日常でありました。</p>



<p>では現代はどうでしょうか？</p>



<p><strong><span class="marker-under">最初に結論から申しますと、寺に常駐している住職と有名で大きなお寺にサラリーマンのように通っている僧侶で、休みのありようが大きく変わってきます。</span></strong></p>



<p><strong>自分の寺に常駐している住職の場合</strong>は、基本的に休みはないといっていいでしょう。<br>というのも、寺が小さければお寺以外にも一般のお仕事をしないと食べていけないということもあるのでその場合、平日は一般職、土日はお寺で法事ということになり休む暇がありません。<br>また、大きいお寺だからといって休みがあるわけではありません。大きいお寺には、観光客や参拝者が途切れずやって来ますし、その度に祈願やお払いといった仕事が入ることでしょう。<br>そして、月参りがあるような地域もありますが、そのような地域は完全に休む日はないといえるでしょう。</p>



<p><strong>有名で大きなお寺にサラリーマンのように通っている僧侶</strong>の場合は、休みを取ることができます。<br>私自身も、関東で有名なお寺にサラリーマンとして勤めていましたが、月に任意では選べませんが６日休みをいただいておりました。<br>もちろんサラリーマンですから有給もあり、それらも活用して休みを取っていた経験があります。<br>ですが、平日より休みの日の方が仕事が忙しいことから、休める日は一般の職業と真逆で、土日祝日は休めず平日に休むというのが基本でした。</p>



<p>このように現代は昔と変わって、己を精進する日々から仕事を優先するような考えに変化してきているように私は感じます。</p>



<p>ですが、世の中は働き方改革を意識し、労働環境や労働時時間をブラックでないものへと変えていく取り組みが行われています。</p>



<p>これは、僧侶においても例外ではなく、こういった取り組みの影響を受けているので大きなお寺では、休みや有休が取り入れられているのでしょう。</p>



<h3>お坊さんは、休みに何をしている？</h3>



<p>休みの日になにをしているのかと聞かれれば、<strong><span class="marker-under">正直お坊さんそれぞれだ</span></strong>と思います。</p>



<p>中には、趣味や家族に休みの時間を使う方もいるのでしょうが、お坊さんの休みは他に比べ少ないと言えるでしょう。</p>



<p>広い境内の掃除や僧侶の研修、本山に足を運ぶ用事など意外と忙しいのが僧侶であります。</p>



<p>そういったものを自分で管理しつつ、半休は足りていない掃除にあて、休みの日は研修にあてる。</p>



<p>昔のような僧侶の生活とまでは言えませんが、現代で僧侶として励むにはこれが限界のような気がします。</p>



<p>私は、僧侶として常に見られても恥ずかしくない行動を心掛けていますが、中には人目に付くような行動をして噂になるような僧侶もいることは否めません。</p>



<p>人の進むべく道を示し、道徳的にも模範となるべく僧侶は生活しなければなりません。</p>



<p>なぜなら、僧侶となるときに戒を守ると誓ったはずだからです。</p>



<p>そんな行動を心掛けて休みを取った時にできれば僧侶として素晴らしいですよね。</p>



<h3>お坊さんの休みの取り方</h3>



<p>私の休みはどうなっているのかというと、今はお寺に常駐しているため休みというのは<strong>ほぼ</strong>ありません。</p>



<p>私の場合は、月参りが月の日数すべてを埋めていますし、土日に法事、それに加え突然のお告げによる葬式が入るので休む暇がありません。</p>



<p>ですが、<strong>ほぼ</strong>と伝えたように檀家の理解を得ての一日休みと半休は存在します。</p>



<p>例えば、友引の前日は前々から予定を組んで出かけることができます。<br>お坊さんは略して友前(ともまえ)と言いますが、友引は友を道ずれにすると言われることから友引の日には葬式をしない習わしがあります。<br>ですので、泊りで出かけるのは友前を選ぶことで安心して休むことができますが、その日にあたっている月参りをその時だけ日にちを変更していただき、前もって行う必要があります。</p>



<p>田舎の寺では大体がこんな感じで休みを取っていると思います。</p>



<p>都会の大きなお寺では、上記でも説明した通り決められた日数休みがあります。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>お坊さんの休みは、地域や仕事内容、寺の規模によって大きく変わってきます。</p>



<p>そして、休みの使い方も僧侶次第であり、戒を守り模範となる行動を心掛けるべきとお伝えしました。</p>



<p>実は、これは私が修行時代に師匠から寺へと変える前に教わったことの一つであります。</p>



<p>「休みだろうが人が見ていなかろうが、僧侶としての自覚を常に持って行動しなさい」という言葉を受け、私自身心にとめて生活しています。</p>



<p>怠惰な僧侶と言われないよう日々精進したいものです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>辛い修行を乗り越えた僧侶が教える苦難を乗り越える方法とは！？</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/hardship/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
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					<description><![CDATA[私たちは、日々生活していれば辛いことや苦しいことといった苦難が誰しも訪れることでしょう。 それを乗り越えて人間は成長するなんてよく聞きますが、苦難を乗り越えるというのは各個人にとって高いハードルであり、避けて通りたいと思 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>私たちは、日々生活していれば辛いことや苦しいことといった苦難が誰しも訪れることでしょう。</p>



<p>それを乗り越えて人間は成長するなんてよく聞きますが、苦難を乗り越えるというのは各個人にとって高いハードルであり、避けて通りたいと思うことが人間の普通の真理だと思います。</p>



<p>そして、人それぞれ苦難の形も変わってきますし、状況や立場の違いからくるものもあるでしょう。</p>



<p><strong>私自身も僧侶になるにあたり、長く苦しい修行という苦難を乗り越えた経験があります。</strong></p>



<p>その時は、様々なものに助けられなんとか乗り越えましたが、これから何かしらの苦難に立ち向かう方というのは不安であり、自信もないことでしょう。</p>



<p><strong><span class="marker-under">この記事では、私が修行時代に直面した苦難を乗り越えていった方法を実体験とともに師匠の言葉を含めて紹介していきます。</span></strong></p>



<h2>苦難を乗り越える方法</h2>



<p>苦難といっても人によって大小あり、様々な乗り越えなければならない壁のようなものを苦難と呼ぶと思います。</p>



<p>ですが、人によっては大小あるとはいえ、周りからは小さく見えたとしても当人にとっては大きな壁と感じるものでしょう。</p>



<p>僧侶としての立場でこの苦難を簡単に説明すると、お釈迦さまはこのように説かれています。</p>



<p>人間生きていることそのものが「苦」ということであり、その苦を四苦などと言いあらわします。<br>四苦は、「生」「老」「病」「死」の四つのことを言い、生まれてから死ぬまで人間というのは苦難の連続であります。それは、人間であるならば抗うことはできずそれを乗り越えるために修行に励みましょうということなのです。</p>



<p>では、実際どのようにしてこういった苦難を乗り越えていけばいいのでしょうか？</p>



<p>上記でふれた修行といっても一般の方にはなかなかできませんよね。</p>



<p><strong><span class="marker-under">ですので、私のおすすめする方法は考え方を変えることです。</span></strong></p>



<p>生きていくうえで、今抱えている問題よりもより大きな壁が立ちはだかることなんてざらにあるでしょう。</p>



<p>人生を長いスパンで考え、その一つ一つを乗り越えていくことで「少しづつ己を鍛え高めていっているのだ」というように考えることが大切なのです。</p>



<p>まさに「苦難を乗り越えて成長する」ということになりますが、こうして自己を高めることこそが修行なのではないでしょうか。</p>



<p>ですので私は、まず辛いということばかり考えるのではなく、人生という長いスパンで苦難を考え、修行を積みながら自己を高めているという考え方に変えることで、前向きなメンタルで苦難に望むことをおすすめします。</p>



<h3>私の体験例</h3>



<p>私が本山で修行を積んだ体験は、まさしく苦難の連続であり、一つの壁を乗り越えたところでまた次の壁が立ちはだかるといった終わりの見えない苦難の日々でした。</p>



<p>辛いのが修行であり、それを乗り越えることで自己を高めるのが修行の意義であります。</p>



<p>修行を始めたときは、正直辛いとか苦しいとしか考えていませんでしたし、自己を高めるという意識以前にいかに早く終わらないかとすら考えていました。</p>



<p>しかし、辛いと思っていた修行がある考えの変化によって修行を前向きに捉え、むしろ進んで辛く苦しい修行に取り組めるようになりました。</p>



<p>その考えの変化が<strong><span class="marker-under">「自己を高めるために行うのだから決して無駄にならない」</span></strong>と考えを変えることでした。</p>



<p>そのように考えることで、今直面している壁よりさらに大きな壁が今後待ち受けており、人生のこれから経験する苦難に必ず役に立つのだと思えば気持ちも前向きになり、自ら率先して行動できるようになりました。</p>



<p>苦難を乗り超えるために必死になって頑張るということは、人生において決して無駄になることないのです。</p>



<h3>苦難を乗り越えるための師匠の言葉</h3>



<p>私は、上記のように考え方を変えて苦難を乗り超えてきましたが、実はもう一つ苦難を乗り越えるための考え方があるので紹介していきます。</p>



<p>自己の研鑽のために修行を頑張るという考え方も大きな変化の一つでありましたが、それでも精神だけでなく肉体的にも限界だったとき、挫けてしまいそうになったことがあります。</p>



<p>そんな姿を見て、師匠は私に「<strong>まわりを見てみなさい、挫けそうなのはあなただけではないのですよ」</strong>と言葉をかけてくださいました。</p>



<p>その言葉を聞いて心が思った以上に軽くなったのを覚えています。</p>



<p>みんな私と同じく、苦しみながらも乗り越えようと必死になっており、辛いのが私だけではないのだと気付いたらやる気が湧いてきました。</p>



<p>これは、一般の方々の悩みにも言えることでしょう。</p>



<p>よっぽど特殊なことでない限り、大半の苦難というのは自分以外の人も同じように悩んでいます。</p>



<p>苦難を乗り越える考え方のもう一つのおすすめとして、私が師匠から言われた言葉を思い出してみてください。</p>



<p>苦しいのは自分だけでないと考えると心が驚くほど軽くなるのを実感できるでしょう。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>この記事では、苦難を乗り越える方法として2つの考え方について紹介しました。</p>



<p>人間生きていれば必ず訪れるのが苦難であります。</p>



<p>あのお釈迦様のように悟りを開いて乗り越えろとは言いません。<br>やることは、たった2つの考えを心に留めておくことです。</p>



<p>私自身それだけで心が軽くなり、なんとか修行を乗り越えることができました。</p>



<p>みなさんもこれから様々な苦難に直面すると思いますが、この記事が少しでも役に立てば幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【食事に感謝】ご飯を一粒も残さず食べる意義について現役僧侶が解説！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/meal/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 21 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
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					<description><![CDATA[日本において食材に困るということはないと言えるでしょう。 むしろ、食材が有り余っているせいか、食材への有難みや感謝の気持ちが薄れてきてしまっているように感じます。 これは私自身にも言えることで、僧侶となる前の俗人だった頃 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>日本において食材に困るということはないと言えるでしょう。</p>



<p>むしろ、食材が有り余っているせいか、食材への有難みや感謝の気持ちが薄れてきてしまっているように感じます。</p>



<p>これは私自身にも言えることで、僧侶となる前の俗人だった頃、特になにも考えず、さも当たり前のように食事をしていました。</p>



<p>ですが、修行に行き師匠から食材に対する感謝の大切さを学び、考えが１８０度変わりました。</p>



<p>その考えにより、食事をする際に感じる美味しさも変化した気がします。</p>



<p>この記事では、僧侶である私が修行時代に師匠から教わった食事における感謝の大切さを解説したいと思います。</p>



<h2>ご飯を一粒も残さず食べる意義</h2>



<p>食事をすると言うことは<strong>「命を頂くこと」</strong>というのは耳にしたことがあるでしょう。</p>



<p>この言葉は的を得ており、私たち人間は食事をしなければ生きていけません。</p>



<p>そして、その食事は生きていたものを殺し、加工されて私たちのもとへと来ますが、自分が生きるために命を頂いていると感じて食事をしている人というのは極稀でしょう。</p>



<p>食べることが当たり前でそういったことにはなかなか気づかないものです。</p>



<p>私たち僧侶は、この食事における食材への感謝をまずはじめに覚えることとして師匠から教わります。<br><strong><span class="marker-under">私たちが生きていられるのは、命を頂いた食材のおかげであり、しっかり残さず食べなくてはなりません。</span></strong></p>



<p>ちなみに、私の修行時代の食事はというと生き物は食べませんでした。<br>ご飯と野菜がメインの精進料理を思い浮かべたら分かり易いと思いますが、これはお釈迦さまのいた時代の僧侶の食事をマネており、修行中は特に生き物を食べないように気を付けます。<br>また、生き物でなくとも香辛料や一味などの刺激物も禁止されていました。</p>



<p>そして、食べる前と食後にお経を一巻ずつお唱えして、食事に対する感謝を心掛けて生活するのも修行の一環でありました。</p>



<p>このように、僧侶となって食材に感謝し、その経緯を改めて考えると食事をすることで、自ずと食事がいかに有難いかということと、残さず食べなくてはならないという使命感を感じると思います。</p>



<p><strong><span class="marker-under">食べれる分だけ茶碗に盛り付け、残さず感謝して食事を頂きましょう。</span></strong></p>



<h3>ご飯を一粒も残さないで食べる方法</h3>



<p>食べれる分だけ皿に盛り付け、ご飯やおかずを食べるというのが当たり前であると思います。</p>



<p>バイキング形式のような場面では、ついつい欲張ってしまいがちですが、残してしまったらこれはよくないということです。</p>



<p>ご飯やおかずを残さず食べるのことは、やろうと思い至ればすぐにでもできます。</p>



<p>しかし、特にご飯のような茶碗にへばり付いたお米も残さず食べろと言われたらどのようにして食べますか？</p>



<p>のこさず食べるということは、そういったへばり付いたお米も含めて全部食すということなのです。</p>



<p><strong>ここで、私の師匠が実際に毎食行っている残さず食べる方法を紹介します。</strong></p>



<p>師匠は、綺麗にすべての食材を食べ終わるまで湯飲みには手を着けません。<br>そして、食べ終わった後に湯飲みに入れてある白湯をすべての茶碗や皿に流し入れ、一粒のお米も野菜から出た汁すらも白湯でかき集めそれを飲み、文字通りすべてを無駄にしないように食事をしていました。</p>



<p>正直、この食事の仕方を見た時は衝撃的であったのを覚えています。</p>



<p>ですが、これこそ残さず食べることなんだと感じ、食材に感謝し大切に食事をしなければならないと考えが改まったきっかけとなりました。</p>



<p>真の意味で残さず食べてみようと思う方は、この食事の仕方を実践してみるといいでしょう。</p>



<h3>食材に感謝するとより食事がより美味しく感じる！？</h3>



<p>食事に感謝し、味わって食べることにより以前に比べ食事を美味しく感じるようになりました。</p>



<p>これは、私の修行時代の同期も同じことを言っており、たしかに変化があったように思います。</p>



<p>食材に感謝するということは、少なからず意識を集中して食事をします。<br>その影響で味を感じやすくなったのかもしれませんが、それとは別に有難いという気持ちで心を満たすことで、より美味しく思えてくるのです。<br>上手く説明できませんが、以前のように何も考えず当たり前と思って黙々と食べていた頃とはことなり、食材の気付かない美味しさにも気付き、気持ち的にも美味しく感じるのです。</p>



<p>これは、あくまで私の感想であり、皆さんが同じように感じるかは分かりませんが、私は心境の変化とともに美味しさも変わった気がしています。</p>



<p>もしかしたら、皆さんも食材に感謝して食事をすることで何かしら変化が生じるかもしれません。</p>



<p>是非実践してみてください。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>ご飯は残さず食べるというのは常識でありますが、食材に感謝してご飯を食べている人は少ないことでしょう。</p>



<p>私も修行に行く前は、そのようなことは考えなかったですし、思い至ることもなかったでしょう。</p>



<p>ですが、改めて考えてみてください。</p>



<p>私たちは、食材がないと生きられないですし、様々な人の苦労により食材は私たちのもとに来るのです。<br>一善一善に感謝し、残すことがないよう食事をしましょう。</p>



<p>その際、師匠の残さず食べる方法を一度試してみてください。</p>



<p>きっと驚くほど綺麗に残さず食事を終えることができるでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>無宗教の方にこそ持つべき仏像！その訳を現役僧侶が解説！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/buddha-statue/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 19 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[おすすめ仏具]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=760</guid>

					<description><![CDATA[最近、無宗教という言葉が世に出回るようになりました。 僧侶である私のもとにも「私は無宗教だから亡くなった時に行う葬式や入るお墓はどうしたらいいのでしょう？」といった質問を相談されることもあります。 私が考えるに、無宗教と [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>最近、無宗教という言葉が世に出回るようになりました。</p>



<p>僧侶である私のもとにも「私は無宗教だから亡くなった時に行う葬式や入るお墓はどうしたらいいのでしょう？」といった質問を相談されることもあります。</p>



<p>私が考えるに、無宗教といっても今まで人生において仏教に関わることがなく生活してきて、関わる必要性を感じてこなかったからこそ、現在無宗教なのであると思います。</p>



<p>ですが、無宗教と自称される方でも、日本の行事である元旦の初詣や節分に恵方巻を食べるといった、時期が来るとテレビでも取り上げられる行事を行ったことがあるでしょう。</p>



<p>実はこれも仏教行事であり、日本人であれば他にも日常に溢れる様々な仏教体験を知らぬうちに行っているのです。</p>



<p><strong>ここでいう無宗教とは、決まった宗派に属していないことを指すのでしょうが、もしあなたが亡くなった時、それでは残された遺族はとても困ってしまいます。</strong></p>



<p>最初の私への質問もそうですが、葬儀やお墓の問題は残された家族に回ってくるからです。</p>



<p><strong><span class="marker-under">この記事では、現役僧侶である私が無宗教の方でもたくさんある宗派に興味を持つきっかけとして、仏像を持つ意義について解説していきます。</span></strong></p>



<h2>仏像を持つ意義</h2>



<figure class="wp-block-image size-large is-style-default"><img width="800" height="600" src="https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1-800x600.jpg" alt="仏像" class="wp-image-780" srcset="https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1-800x600.jpg 800w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1-500x375.jpg 500w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1-300x225.jpg 300w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1-768x576.jpg 768w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1-1536x1152.jpg 1536w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_094544-1.jpg 1920w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<p>仏像といっても仏教における仏さまの数だけ仏像は存在します。</p>



<p>そして、仏さまそれぞれに特化した役割があり、私たちへの導き方も様々です。</p>



<p>例えば、有名な仏さまとして不動明王や観音さまなどがありますが、この2つをとってみても見た目や性質は大きく変わります。</p>



<p>不動明王は、見た目も怒った顔をしており、剣を携えたうえに背中には火焔を背負っています。<br>この仏さまは、見た目通り我々の導き方も問答無用で、強引にでも正しい道に戻そうとする仏さまです。</p>



<p>対して、観音さまは優しいご尊顔で、人によって自らが姿を変えてまで正しい道に優しく導いてくださる仏さまであります。※補足ではありますが、この故に観音さまは様々な仏像が存在します。</p>



<p>この2つを掻い摘んだだけでも仏像といっても様々なものがあるとお分かりいただけると思います。</p>



<p><strong>その中から一つで構わないので仏像を手元に置くことをお勧めします。</strong></p>



<p>ですが、仏像を手元に置く意義とは何なのでしょう？</p>



<p><strong><span class="marker-under">その意義というのは、たくさんあるのですがここでは一番大事なこととして一つ、仏像を持つことによって仏像に手を合わせる習慣がつくことです。</span></strong></p>



<p>たくさんの種類がある中から、一つの仏さまを選んだのには理由があることでしょう。</p>



<p>何かの悩みからその悩み解決に特化した仏さまを選んだり、仏さまの教えに共感し仏像を選んだということもあると思います。</p>



<p>そんな私たちを導いてくれる仏さまを無碍にはできませんよね。高いところに安置してみると驚くほど自然に手を合わせている自分に気づくでしょう。</p>



<p><strong><span class="marker-under">その手を合わせるという行為が最初の第一歩になるのです。</span></strong></p>



<h3>無宗教の人こそ仏像を持った方がいい！</h3>



<p>冒頭でもあげましたが、無宗教の方は生きてきた人生の中で仏教にふれず、特定の宗派と関りがなかったからこそ自分は無宗教であるといわれているのではないでしょうか？</p>



<p><strong>私が無宗教の方にこそ仏像を持つことをお勧めする理由は、まずどのような仏さまがいるか確認し、あなたが数ある中から選んだ仏さまに対して、手を合わせるという行為自体が仏教にふれる第一歩となり、今まで関わってこなかった仏教に出会える機会となるからです。</strong></p>



<p>それがきっかけとなり、選んだ仏さまを特に信仰する宗派が見つかるかもしれません。</p>



<p>また、仏像をきっかけに仏教をより深く学びたいと思う方も出てくるでしょう。<br>仏教は、知れば知るほど奥が深く、多岐にわたって関連していきます。</p>



<p>ですので、そのきっかけからあなたがどう行動するかはあなた次第ですが、仏像にふれるという行為があってこそ、仏教と出会うきっかけとなるのです。</p>



<p>そういった機会がなかったからこそ無宗教などということになり、切羽詰まった状況になってから慌てふためくことになってしまうのではないでしょうか。</p>



<h3>仏像を選ぶコツ(無宗教の方向け)</h3>



<p>上記でも説明した通り、仏像の種類は多岐にわたります。</p>



<p class="has-orange-color has-text-color">そんな中で、一つを選ぶコツとして私がお勧めしている方法をご紹介します。↓</p>



<ol><li><strong>仏さまの特化したご利益を確認し選ぶ</strong></li><li><strong>今まで出会った興味のある仏さまを選ぶ</strong></li><li><strong>見た目で気に入った仏さまを選ぶ</strong></li></ol>



<p>①は、何か特定のご利益、例えば病気を治すために<strong>薬師如来</strong>さまの仏像を選ぶといったように、自分の願うご利益によって仏さまを選ぶ方法です。</p>



<p>②は、<strong>今まで出会った仏さま</strong>で、興味関心があればその仏さまの仏像を選んでいいと思います。興味があれば自ずと学び、それが仏道の第一歩となるでしょう。</p>



<p>③は、<strong>見た目が気に入った仏さま</strong>ですが、これは最終手段としましょう。もちろん①や②の経緯がなければ構いません。しかし、見た目から入るということは、理由はどうあれ興味が引かれたわけで、仏道に関わる第一歩となることに変わりはないのであげさせていただきました。</p>



<p>選び方に迷ったら上記を基準に仏像を選んでみてください。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>無宗教の方にこそ仏像を持ってほしいと記事を書きましたが、不安を煽るような表現もあり誠に申し訳ありませんでした。</p>



<p>ですが、今まで仏教に関わってこなかったからこそ、その最初の一歩となり、皆さんの無宗教から仏教にふれる手助けとなればと思い記事にした次第です。</p>



<p>もしかしたら、若い世代の方も「如来」とか「明王」と聞くとアニメや漫画の影響で興味を示してくれるかもしれません。</p>



<p>そういった、興味からでも構わないと私は思います。</p>



<p>まずは、無宗教と言わず、仏教にふれる機会を是非つくってみてください。</p>



<p>それをきっかけに仏教に関わっていく方が増えたら幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【あると便利】複数の人数でお経を唱える時に拍子木は必須！？</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/clap-tree/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[おすすめ仏具]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=758</guid>

					<description><![CDATA[拍子木と言われてもいったい何のことと思われる方が大半だと思います。 葬儀や法事の際、お寺の住職がお経を読んでいる時に木魚を叩いていたり、鉢を鳴らしていたりと法要では鳴り物の仏具を使ってお経をお唱えしている光景を目にしたこ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>拍子木と言われてもいったい何のことと思われる方が大半だと思います。</p>



<p>葬儀や法事の際、お寺の住職がお経を読んでいる時に木魚を叩いていたり、鉢を鳴らしていたりと法要では鳴り物の仏具を使ってお経をお唱えしている光景を目にしたことがあるでしょう。</p>



<p>また、宗派によってはカンカンカンと木を叩きお経を唱えている場合もあり、その叩いている長方形の木が拍子木と言われる仏具の一つなのです。</p>



<p><strong><span class="marker-under">実は、この拍子木はお経をお唱えするうえでとても重要な仏具となっています。</span></strong></p>



<p>こも記事では、そんな拍子木について意味や使い方、使う場面など現役の僧侶が解説していきます。</p>



<h2>拍子木について</h2>



<figure class="wp-block-image size-large is-style-default"><img loading="lazy" width="800" height="600" src="https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316-800x600.jpg" alt="拍子木" class="wp-image-773" srcset="https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316-800x600.jpg 800w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316-500x375.jpg 500w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316-300x225.jpg 300w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316-768x576.jpg 768w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316-1536x1152.jpg 1536w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210712_122316.jpg 1920w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<p>お経をお唱えするうえで、鳴り物の仏具を使いながら唱えることがあります。</p>



<p>これは、宗派によって使う仏具もことなり、叩き方や仏具を使う際のお経もことなってきます。</p>



<p>例えば、禅宗ならお経を唱えながら木魚を使いますし、真言宗ならお経の節目に鉢を叩いたりしています。</p>



<p>その他にも、印金や錫杖、鐘といった様々な仏具があります。</p>



<p>ではいったい何のためにお経を唱えながらこういった鳴り物の仏具を使っているのでしょう？</p>



<p>もちろん宗派によって本来の意味や使う意義があるのでしょうが、<strong><span class="marker-under">基本的に鳴り物の仏具はお経の拍を取るために使っています。</span></strong></p>



<p>お経というのは、たくさんの種類があり、それぞれ特色があるためお経のリズムやスピードが変わってきます。</p>



<p>ですので、そのお経に合わせて叩くのが基本なのですが、一人でお経をお唱えする分には必要性があまりないといえるでしょう。</p>



<p><strong><span class="marker-under">最も必要とする場面は、二人以上の複数人でお経をお唱えするときに鳴り物の仏具は活躍してくれます。</span></strong></p>



<p>複数人でお経を唱える場合、人それぞれのお経の読み癖や速さがあるため、必ずお経がずれてくるものです。</p>



<p>そんな時に経頭が拍子木や木魚を叩き、唱えるスピードをリードするのです。</p>



<p>そうすることにより、全体のお経がまとまり、揃った綺麗なお経が唱えられるのです。</p>



<h3>拍子木の使い方</h3>



<p>拍子木は、お坊さんが使う仏具だから一般の在家の者が使う機会なんてないんじゃないの？と思われるかもしれません。</p>



<p>先に申し上げておきますとそんなことは一切ありません。</p>



<p><strong>仏具と言われるとなかなか手が出しずらいイメージかもしれませんが、在家の皆さんにも複数人でお経を読む際は使っていただいた方がむしろ良いといえるでしょう。</strong></p>



<p>例えば、朝夫婦そろって仏壇の前でお経をお唱えする際、団体でお遍路している時に各寺院でお経をお唱えする際など意外と使う場面というのはあることでしょう。</p>



<p>せっかくお参りするのですから、少しでも綺麗に揃ったお経をお唱えしたいですよね。</p>



<p class="has-black-color has-text-color">ここで使い方についても紹介していきます。</p>



<p class="has-amber-color has-text-color">使い方といっても非常に簡単ですので、次の3つを心掛けるようにしましょう。↓</p>



<ol><li><strong>早くなったり遅くなったりせず常に一定のリズムで叩く</strong></li><li><strong>経頭の方はお経を読む人を見て、その人に合わせたスピードで叩く</strong></li><li><strong>強く叩き過ぎず、優しく叩く</strong></li></ol>



<p>拍子木を叩くうえで、これだけは守るように叩きましょう。</p>



<p>①は、叩く者のペースで拍子木を叩いてしまうとその他の人がお経を合わせ辛く、お経にずれが生じてしまうので一定のリズムで叩くようにしましょう。</p>



<p>②は、一緒にお唱えする方によっては、ご高齢で早くお経が読めない方もいるでしょう。そういう方がいる場合、早いリズムのお経であろうが少しゆっくり叩く等の配慮をしてもいいでしょう。</p>



<p>③は、鳴り物の仏具全般に言えることですが、強く叩いても良い音は絶対出ません。力を抜き自然に叩くイメージで叩けば清らかな良い音で拍子木を叩くことができるでしょう。</p>



<p>以上3つを気をつけて使うようにしましょう。</p>



<h3>拍子木について師匠から教わったこと</h3>



<p>拍子木を使ううえで私が修行時代に師匠から教わったことがあります。</p>



<p>それは、<strong>「拍子木でお経の拍を取ることも重要な役割ではあるが、鳴り物の仏具全般に言えるが音をあらしめることでさらにお経に没頭でき、その場の雰囲気も荘厳なものへと変える役割がある」</strong>と教わった覚えがあります。</p>



<p>ここで言いたかったのは暗に、お経というのは読むスピードにばかりとらわれていては、本来のお経を読む意義から遠のいてしまうということです。</p>



<p>ですので、拍子木はあくまでお経を至心に唱えるための補助的な仏具であり、場の雰囲気を高めてお経に没頭するために叩くのです。</p>



<p>一番大事なのは、仏さまやご先祖さまへお経を唱える行為であり、少しでも完成された綺麗で整ったお経をお届けするために拍子木を役立てたいものです。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>拍子木について解説しましたが、意外にいろんな意味があることに驚いたのではないでしょうか？</p>



<p>単純な叩くだけの仏具と思いきや、実はリズムやスピード、叩く強さまで様々なことを考えながら叩かなくてはいけない仏具なのです。</p>



<p>夫婦や団体参拝などの場面で使う場面というのはあると思いますが、仏具であっても値段は安く、1000円~4000円程でネットや仏具店で購入できるでしょう。</p>



<p>簡単に手に入るので、是非日々のお勤めやお寺参りに役立てていただければ幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>子供に仏教の大切さを伝えるには？現役僧侶が実体験をもとに解説！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/tell-the-child/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[疑問解決コーナー]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=756</guid>

					<description><![CDATA[現代社会において、寺離れや無宗教といった影響により、仏教との関りが遠ざかってしまっている印象が顕著に見受けられます。 仏教は、日本の歴史から見ても深く私たちの生活に関わってきており、様々な行事や風習といった、日常生活に欠 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>現代社会において、寺離れや無宗教といった影響により、仏教との関りが遠ざかってしまっている印象が顕著に見受けられます。</p>



<p>仏教は、日本の歴史から見ても深く私たちの生活に関わってきており、様々な行事や風習といった、日常生活に欠かせないものでありました。</p>



<p>しかし、最近ではその関係も遠のき、お正月の初詣や節分の豆まきなど、何気なく行っている行事が仏教由来のものあり、本来の意味があることを忘れてしまっている気がします。</p>



<p><strong>また、仏教離れによる道徳の変化も私は危惧しています。</strong></p>



<p><strong><span class="marker-under">昔は、寺子屋などでお寺との関りも日常的なものであり、そこで和尚さんから勉強以外にも人としての在り方や、日々の行いの指針を教わったものです。</span></strong></p>



<p>ですが最近はどうでしょう？<br>ニュースを見ていると、未成年の犯罪は昔に比べて増加しているそうです。</p>



<p>この記事では、現役僧侶が実体験をもとに、こういった現代だからこそ子供に学ばせたい仏教について、その伝え方を解説していきます。</p>



<h2>子供の教育に仏教を取り入れよう！</h2>



<p>現代社会が昔と大きく変わった点は何でしょう？</p>



<p>私が考えるその違いというのは、人と人の関りが極端に減ったということだと考えています。</p>



<p>情報が飛び交うネットという環境がある生活やスマホ・テレビゲームがあるおかげで、家を出て外で遊ぶ子供の姿は、都会では特に見ることが少なくなってきました。</p>



<p>その他にも、葬儀の形態も段々と家族葬のような縮小傾向にあり、亡くなった後ですら最後の挨拶においても満足にできない状況であります。</p>



<p>それこそ昔は、人が亡くなるとご近所さん同士が集まり、葬儀について分からないことを教えてもらったり、忙しい準備を全面的にお手伝いをするというご近所関係がありました。</p>



<p>現在では、子供は家で一人で遊び、葬儀も縮小化されているので、昔に比べてなんとも寂しい印象を受けるのは仕方ないことだと思います。</p>



<p><strong><span class="marker-under">人と人が多く関わり、他者を見て育つことこそ、物事の善悪や豊かな感情というのは形成されると私は考えます。</span></strong></p>



<p>その助けとなったのが、昔の寺子屋でした。</p>



<p>寺子屋では、子供たちが集まり、勉強から仏教を通した様々な死生観を子供たちに伝えることで、善悪を分別した人間性や子供同士の協調性を育む場所として大いに重宝されてきました。</p>



<p>実は私の寺は、今でも子供たちが集まり寺子屋として勉強や道徳について教えています。</p>



<p>親御さんによる寺子屋の感想としては、「子供が以前より相手の気持ちを考えるようになった」や「引っ込みがちだったが、友達と積極的に関わるようになった」等のお声をいただいています。</p>



<p>人と人との関係がなかなか作れない今の社会だからこそこういった場所というのは必要ですし、やはり仏教を通して子供が善悪を理解して豊かな人間性を持つことは、親の願いでもあると思います。</p>



<p>仏教というと、宗教としての怖さや胡散臭さがあるのは分かりますが、仏道は人の正しい道を示してくれる道徳のようなものです。</p>



<p>ですので、子供の教育の一つとして仏教を学ばせるということは、必ず子供の成長に良い影響を与えることでしょう。</p>



<h3>子供に仏教を体験させる取り組み</h3>



<p>私のお寺では、寺子屋を開いていると言いましたが、他にも有志の僧侶とともに子供たちを寺子屋の課外授業版として遠足に連れて行っています。</p>



<p>そこでは、食べ物への感謝を学ぶため農家さんを尋ねたり、禅宗のお寺に伺って座禅体験や修行体験をして、日々の日常とことなる仏教体験をしてもらいます。</p>



<p class="has-orange-color has-text-color">そのような経験から私たちは以下のことを子供に学んでもらおうと考えています。↓</p>



<ul><li>生きていることは、決して自分一人の力ではない</li><li>感謝の大切さ</li><li>いかに自分が日々煩悩にまみれているのか</li><li>家族の大切さ</li><li>友達との協調性</li></ul>



<p>特に子供たちに学ばせようと立ち振る舞っているのは上記の五点です。</p>



<p>なぜこれらを重要視しているかというと、これらは現代社会においてなかなか日々の生活だけでは自力で学ぶのが難しいからです。</p>



<p>ですので、仏教体験を通して友達と関係を深めたうえで、忘れがちだけど人間として生きるうえで大切な道徳を身に着けてもらいたいと考えているのです。</p>



<h3>家でもできる子供への仏教の伝え方</h3>



<p>寺子屋について説明しましたが、これは近くに寺子屋を開いている寺院がなければ通わせることができません。</p>



<p>ですので、家庭の教育として子供の成長の手助けとなるよう、スムーズに仏教を取り入れる方法を3つ紹介していきます。</p>



<p><strong>①つ目の方法</strong>は、挨拶をしっかりさせるということです。<br>挨拶といってもただ言葉を言えばいいというわけではなく、例えば食事の時には、命を頂くことの大切さを親御さんが子供に教えてあげなければなりません。また、何かをしてもらったら感謝を伝える大切さをしっかり教えてあげることも必要です。</p>



<p><strong>②つ目の方法</strong>は、相手の気持ちを考えさせるということです。<br>人間関係で自分のことばかり考えていたら上手くいくわけがありません。お釈迦さまも人に合わせて教えを説いたように、相手を見て、人に合わせることができることも必要です。</p>



<p><strong>③つ目の方法</strong>は、先祖に手を合わせる姿を子供に見せることです。<br>子供は親を見て育つといわれるように、親の姿を子供はマネをします。①の感謝の気持ちを自然に持たせるためにも、仏壇やお墓に手を合わせる習慣は大切であります。</p>



<p>このたった3つの方法を実践するだけで子供の成長もかなり変わってくると思います。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>現代社会を言い換えると孤立社会といっても差し支えないかと思います。</p>



<p>そんな時代において、子供たちにもしっかり生き抜ける善悪をわきまえた優しい人間となってほしいのが当たり前でしょう。</p>



<p>近くに寺子屋をやっているようなお寺があり、子供を通わせることができればいいですが、なかなか見つからないこともあります。</p>



<p>そんな時は、紹介した3つの方法を実践してみてください。</p>



<p>少なからず子供の成長に良い影響となると思いますので、是非試してみてください。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>僧侶である私が師匠より教わったより良い日々を送る方法を紹介！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/better-days/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 Jul 2021 00:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=720</guid>

					<description><![CDATA[日々生活していれば、人間関係から仕事の悩みまで様々な苦労や葛藤があると思います。 人間として生きていればそれは当たり前で、むしろ何も苦悩することがない方がありえないでしょう。 苦悩は、私も常々感じながらすごしていますが、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>日々生活していれば、人間関係から仕事の悩みまで様々な苦労や葛藤があると思います。</p>



<p>人間として生きていればそれは当たり前で、むしろ何も苦悩することがない方がありえないでしょう。</p>



<p>苦悩は、私も常々感じながらすごしていますが、そんな日々を少しでもより良い日々とする方法を修行時代に師匠から教わりました。</p>



<p><strong><span class="marker-under">それは、「</span><span class="marker-under">3</span><span class="marker-under">つの種を育むこと」だそうです。</span></strong></p>



<p>ここでいう3つの種とは、3つの行いのことをさし、これを大事に育てればより良い日々を送れるということだそうです。</p>



<p>この記事では、僧侶として私が師匠から教わったより良い日々を送る方法を紹介していきます。</p>



<h2>より良い日々を送るための3つの種</h2>



<p>当時、修行僧だった私は師匠に「私が修行を終えてお寺に帰った時に檀信徒を導くうえで、僧侶としてどういった生活を心がければいいか教えて下さい」と尋ねたことがありました。</p>



<p>そこで教えていただいたのが3つの種の話です。</p>



<p>師匠は「まずは君自身が檀家のみなさんの前に立つ者としてこの3つの種を育み、生活してみなさい。そして、それを実践したうえで檀信徒のみなさんにも教えてあげなさい」と教えてくださいました。</p>



<p>3つの種は、種ということで毎日水をやり、大切に育まなければなりません。</p>



<p><strong><span class="marker-under">師匠から教わった通り、私は修行を終えてお寺に帰って来てから、この心がけを怠らずにすごしてきたことで、以前に比べ日々が充実し、より良いものへと変わったと実感しています。</span></strong></p>



<p>その体験をもとに、この記事を読むみなさんにも紹介していきたいと思います。</p>



<h3>①体の健康</h3>



<p>一つ目の種というのが体の健康だそうです。</p>



<p>普段健康で毎日をすごしているときは何も感じないものです。</p>



<p>ですが、高熱が出て寝込んでしまったときや骨を骨折してしまったときに、はじめて健康って素晴らしいことなんだなと気づかされます。</p>



<p>健康な体でいられるということは、実はとても幸せなことなのです。</p>



<p>ですが、人間いざ苦しくなってからでないとそれに気づきませんし、病気が治ってしまえばその有難さも一瞬で忘れてしまいます。</p>



<p>たまに、病院に行くとたくさんの患者さんを目にしますよね。</p>



<p>点滴を着けて歩いている方や担架で運ばれている方を見ると健康の大事さに嫌でも気づくというものです。</p>



<p>ですので、一つ目の種としてまずは健康でいることの有難さを知ろうといことです。</p>



<h3>②家族の平穏</h3>



<p>大金持ちでも健康であったとしても、家族の中でいがみあっていたらなんとも毎日がつまらないですよね。</p>



<p>むしろ、お金があるからこそ争っているご家庭もあるようです。</p>



<p>私も家族と上手くいってない時というのは、気持ちも沈みますし、常に胃がキリキリして健康にも悪影響がでてくると思えるほど嫌なものであります。<br>実際に、ストレスというのは様々な病気に関わってくるといいます。</p>



<p>逆に、家庭内が笑いあい上手くいっている時というのは、気持ちは高揚し、楽しい日々が送れているでしょう。<br>当たり前ですが、ストレスを感じなければ病気も減るでしょう。</p>



<p>ということで、家族の平穏が2つ目の種だそうです。</p>



<h3>③感謝の心</h3>



<p>3つの種の中で一番大切なのがこの感謝の心だそうです。</p>



<p>私たちは、生きていくうえで様々な人や物に助けられて生きています。<br>それは、食べ物であったり、友達や家族など自分が考えている以上に他に支えられて自分が存在しているのです。</p>



<p>目には見えませんが、仏さまやご先祖さまも私たちを陰から見守ってくださっているのです。</p>



<p>そんな私を支えてくれるすべてに感謝し、生きていることそのものに感謝することができれば素晴らしいと私は思います。</p>



<p>しかし、常に感謝ばかりしていても疲れてしまいますし、感謝の気持ちを忘れた形式だけの言葉では意味がありません。</p>



<p>難しいことはありません。</p>



<p>まずは、身近な家族に良いことをしてもらったら、心をこめて「ありがとう」と伝えましょう。</p>



<p>家族同士で感謝を伝え合い、笑って生活できればそれは2つ目の種である家族の平穏にも繋がってきます。</p>



<p>家族が平穏であれば、ストレスを感じることはなく笑ってすごすことができ、一つ目の種である体の健康も達成できます。</p>



<p>ですので、感謝の心が一番大切であり、それを大事にしていれば2つ目の種と1つめの種も後から必ずついてくるということなのです。</p>



<h2>まとめ</h2>



<p>この記事では、私が師匠から教わった3つの種について紹介しました。</p>



<p>師匠には「僧侶としての心がけ」を教わったのですが、これを実践したことで私自身の日々がより良いものに変わり、充実した毎日が送れています。</p>



<p>師匠が「実践したうえで檀信徒のみなさんにも教えてあげなさい」言われたように私が体験して良かったからこそ、この記事を読むみなさんにも紹介しようと思い至りました。</p>



<p>そんなに難しいことではないと思いますので、ぜひ実践してみてください。</p>
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		<title>【あると便利】現役僧侶が持ち運べる印金の有用性を紹介！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/stamp/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2021 16:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[おすすめ仏具]]></category>
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					<description><![CDATA[お盆のお参りのときやお彼岸でお墓参りをする際、みなさんはどのようなお参りをしているでしょうか？ お供え物やお花、線香ローソクは当たり前のように持って行き、お数珠をすり合わせてお祈りをしていると思います。 ですが、せっかく [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>お盆のお参りのときやお彼岸でお墓参りをする際、みなさんはどのようなお参りをしているでしょうか？</p>



<p>お供え物やお花、線香ローソクは当たり前のように持って行き、お数珠をすり合わせてお祈りをしていると思います。</p>



<p>ですが、せっかくお参りに来ているのですから、感謝の気持ちとしてさらにご先祖さまに功徳を積んでいただくためにお経をお唱えしてみてはいかがでしょうか。</p>



<p>仏教ではそれを回向といいますが、忙しく毎日がすぎる現代社会において、年に何回もお参りする機会はなかなかつくれないと思います。</p>



<p>時間がない中つくったお参りの機会ですから、より良いお参りをしていってもらいたいものです。</p>



<p><strong><span class="marker-under">そのお経を読む際に便利になるのが、持ち運びができる印金です。</span></strong></p>



<p>この記事では、お参りの便利アイテムである印金について紹介していきます。</p>



<h2>印金とは？</h2>



<figure class="wp-block-image size-large is-style-default"><img loading="lazy" width="800" height="600" src="https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122-800x600.jpg" alt="" class="wp-image-735" srcset="https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122-800x600.jpg 800w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122-500x375.jpg 500w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122-300x225.jpg 300w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122-768x576.jpg 768w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122-1536x1152.jpg 1536w, https://www.osiete-obohsan.com/wp-content/uploads/2021/07/20210709_114122.jpg 1920w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<p>印金(いんきん)とは、基本的にお坊さんが使う仏具です。</p>



<p>簡単にいうとお寺の本堂に行くと住職がお経をお唱えする場所の近くに鐘が用意されているのを目にしたことがあると思います。</p>



<p>法事などでの法要の際、お経の節目でその鐘を打ち鳴らし、法要の雰囲気をよりいっそう荘厳なものへとかえていますよね。</p>



<p>印金は、その本堂にある鐘の携帯して持ち運べるよう手に持つ部分が取り付けられ、本堂以外の場所でも鐘としての役割を果たせるように作られた仏具であります。</p>



<p>ですが、仏具と固く言うと印金はお坊さんが専門知識を持って使うものであるから、一般の人が使えないのでは？と考える人もいるかもしれません。</p>



<p>実はまったくそんなことはなく、仏教に精通している人で普段からお経をお唱えするような熱心な方であれば、持参した印金を片手にお経を唱え、お墓参りやお遍路をしている姿も見受けられます。</p>



<p>ですので、お坊さんしか使えないことはなく、誰でも扱うことができるのです。</p>



<h3>印金の有用性</h3>



<p>上記でも説明したように、法事の際に聞く本堂での鐘の音色は私たちの気を引き締め、荘厳な雰囲気にさせてくれます。</p>



<p>これは、お墓参りやお遍路でお経をお唱えするときにもいえます。</p>



<p><strong><span class="marker-under">お墓参りでは、印金を鳴らしてからお経を唱え始めることにより、それが気持ちの切り替えとなり至心にご先祖さまと向き合うための起点となるでしょう。</span></strong></p>



<p>また、お遍路の場合においても二人以上でお経をお唱えするときに非常に便利です。</p>



<p>一人でお経をお唱えする分には気になりませんが、二人以上でお経をお唱えするとお経にズレが生じますし、複数回連続で真言を読むような際、印金を持つ経頭の人が三回唱える真言の三回目に印金を鳴らすことで「これが最後ですよ」という合図になります。</p>



<p>このように、むしろ<strong><span class="marker-under">二人以上でお経をお唱えするようなときは必須アイテム</span></strong>かもしれません。</p>



<p>そして、お経を読み終わった後に最後にもう一度印金を鳴らすことで、お経の区切りもはっきりし、至心にお祈りしていた張り詰めた気持ちをゆっくりとといていくのです。</p>



<p>在家だから使ってはいけないということは一切ありません。</p>



<p>印金を一つ持っているだけで、お墓やお遍路のお参りをより素晴らしいものに変えてくれるでょう。</p>



<h3>印金の使い方</h3>



<p>持ち運べる印金には、分かり易く持つ部分があるのでその部分を持ち、もう片方の手で印金を鳴らす鐘木を持ちます。</p>



<p>鳴らすときは、力いっぱい叩くのではなく、重力に任せて優しくあてるようなイメージで叩くとちょうどいい綺麗な音がでるでしょう。</p>



<p>また、使っていない際にどこかへ置いておくときの注意点ですが、地べたにそのまま置くことはさけましょう。<br>置いておくときは、布や風呂敷を一枚敷いた上に置くようにします。</p>



<p>これは、印金だけでなくお数珠や袈裟などの仏具にもいえることですので覚えておきましょう。</p>



<div class="wp-block-cocoon-blocks-icon-box alert-box common-icon-box block-box">
<p>補足ですが、僧侶の中で印金や木魚といった音を鳴らす仏具を使う際に、むやみに強く叩いて大きな音を出すのはまわりへの配慮がなく、仏具の扱いが下手だといわれています。</p>
</div>



<h2>まとめ</h2>



<p>今まで印金の必要性については、一般の方であればとくに考えたことがなかったと思います。</p>



<p>ですが、我々が普段行うお墓参りやお遍路のとき、どこかお寺を参拝してお経をあげる時など様々な場面で使う機会があるのが分かったと思います。</p>



<p>そして、取り扱いについても説明しましたが、決して乱暴に扱わず綺麗な音が出るように色々試しながら使ってみてください。</p>



<p>最後に、昔印金を取り扱ううえで私が師匠から言われた言葉があります。</p>



<p>それは、「鳴らし物は己の心をあらわす」という言葉でした。</p>



<p>ようは、早く終わるよう急いで叩けば悪い音が出るし、至心に気持ちを込めて綺麗な音を心がけて印金を叩けば清らかな音が出るということです。</p>



<p>せっかくのお参りなのですから、ご先祖さまに印金の綺麗な音と心をこめたお経をお届けしましょう。</p>
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