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	<title>ちょっと役に立つ話  |  教えてお坊さんblog</title>
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	<description>仏教のこと、通夜葬儀、法事、供養、祈祷など分からない仏教に関わることを分かりやすく解説します。</description>
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	<title>ちょっと役に立つ話  |  教えてお坊さんblog</title>
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		<title>辛い修行を乗り越えた僧侶が教える苦難を乗り越える方法とは！？</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/hardship/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 23 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
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					<description><![CDATA[私たちは、日々生活していれば辛いことや苦しいことといった苦難が誰しも訪れることでしょう。 それを乗り越えて人間は成長するなんてよく聞きますが、苦難を乗り越えるというのは各個人にとって高いハードルであり、避けて通りたいと思 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>私たちは、日々生活していれば辛いことや苦しいことといった苦難が誰しも訪れることでしょう。</p>



<p>それを乗り越えて人間は成長するなんてよく聞きますが、苦難を乗り越えるというのは各個人にとって高いハードルであり、避けて通りたいと思うことが人間の普通の真理だと思います。</p>



<p>そして、人それぞれ苦難の形も変わってきますし、状況や立場の違いからくるものもあるでしょう。</p>



<p><strong>私自身も僧侶になるにあたり、長く苦しい修行という苦難を乗り越えた経験があります。</strong></p>



<p>その時は、様々なものに助けられなんとか乗り越えましたが、これから何かしらの苦難に立ち向かう方というのは不安であり、自信もないことでしょう。</p>



<p><strong><span class="marker-under">この記事では、私が修行時代に直面した苦難を乗り越えていった方法を実体験とともに師匠の言葉を含めて紹介していきます。</span></strong></p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">苦難を乗り越える方法</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">私の体験例</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">苦難を乗り越えるための師匠の言葉</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">苦難を乗り越える方法</span></h2>



<p>苦難といっても人によって大小あり、様々な乗り越えなければならない壁のようなものを苦難と呼ぶと思います。</p>



<p>ですが、人によっては大小あるとはいえ、周りからは小さく見えたとしても当人にとっては大きな壁と感じるものでしょう。</p>



<p>僧侶としての立場でこの苦難を簡単に説明すると、お釈迦さまはこのように説かれています。</p>



<p>人間生きていることそのものが「苦」ということであり、その苦を四苦などと言いあらわします。<br>四苦は、「生」「老」「病」「死」の四つのことを言い、生まれてから死ぬまで人間というのは苦難の連続であります。それは、人間であるならば抗うことはできずそれを乗り越えるために修行に励みましょうということなのです。</p>



<p>では、実際どのようにしてこういった苦難を乗り越えていけばいいのでしょうか？</p>



<p>上記でふれた修行といっても一般の方にはなかなかできませんよね。</p>



<p><strong><span class="marker-under">ですので、私のおすすめする方法は考え方を変えることです。</span></strong></p>



<p>生きていくうえで、今抱えている問題よりもより大きな壁が立ちはだかることなんてざらにあるでしょう。</p>



<p>人生を長いスパンで考え、その一つ一つを乗り越えていくことで「少しづつ己を鍛え高めていっているのだ」というように考えることが大切なのです。</p>



<p>まさに「苦難を乗り越えて成長する」ということになりますが、こうして自己を高めることこそが修行なのではないでしょうか。</p>



<p>ですので私は、まず辛いということばかり考えるのではなく、人生という長いスパンで苦難を考え、修行を積みながら自己を高めているという考え方に変えることで、前向きなメンタルで苦難に望むことをおすすめします。</p>



<h3><span id="toc2">私の体験例</span></h3>



<p>私が本山で修行を積んだ体験は、まさしく苦難の連続であり、一つの壁を乗り越えたところでまた次の壁が立ちはだかるといった終わりの見えない苦難の日々でした。</p>



<p>辛いのが修行であり、それを乗り越えることで自己を高めるのが修行の意義であります。</p>



<p>修行を始めたときは、正直辛いとか苦しいとしか考えていませんでしたし、自己を高めるという意識以前にいかに早く終わらないかとすら考えていました。</p>



<p>しかし、辛いと思っていた修行がある考えの変化によって修行を前向きに捉え、むしろ進んで辛く苦しい修行に取り組めるようになりました。</p>



<p>その考えの変化が<strong><span class="marker-under">「自己を高めるために行うのだから決して無駄にならない」</span></strong>と考えを変えることでした。</p>



<p>そのように考えることで、今直面している壁よりさらに大きな壁が今後待ち受けており、人生のこれから経験する苦難に必ず役に立つのだと思えば気持ちも前向きになり、自ら率先して行動できるようになりました。</p>



<p>苦難を乗り超えるために必死になって頑張るということは、人生において決して無駄になることないのです。</p>



<h3><span id="toc3">苦難を乗り越えるための師匠の言葉</span></h3>



<p>私は、上記のように考え方を変えて苦難を乗り超えてきましたが、実はもう一つ苦難を乗り越えるための考え方があるので紹介していきます。</p>



<p>自己の研鑽のために修行を頑張るという考え方も大きな変化の一つでありましたが、それでも精神だけでなく肉体的にも限界だったとき、挫けてしまいそうになったことがあります。</p>



<p>そんな姿を見て、師匠は私に「<strong>まわりを見てみなさい、挫けそうなのはあなただけではないのですよ」</strong>と言葉をかけてくださいました。</p>



<p>その言葉を聞いて心が思った以上に軽くなったのを覚えています。</p>



<p>みんな私と同じく、苦しみながらも乗り越えようと必死になっており、辛いのが私だけではないのだと気付いたらやる気が湧いてきました。</p>



<p>これは、一般の方々の悩みにも言えることでしょう。</p>



<p>よっぽど特殊なことでない限り、大半の苦難というのは自分以外の人も同じように悩んでいます。</p>



<p>苦難を乗り越える考え方のもう一つのおすすめとして、私が師匠から言われた言葉を思い出してみてください。</p>



<p>苦しいのは自分だけでないと考えると心が驚くほど軽くなるのを実感できるでしょう。</p>



<h2><span id="toc4">まとめ</span></h2>



<p>この記事では、苦難を乗り越える方法として2つの考え方について紹介しました。</p>



<p>人間生きていれば必ず訪れるのが苦難であります。</p>



<p>あのお釈迦様のように悟りを開いて乗り越えろとは言いません。<br>やることは、たった2つの考えを心に留めておくことです。</p>



<p>私自身それだけで心が軽くなり、なんとか修行を乗り越えることができました。</p>



<p>みなさんもこれから様々な苦難に直面すると思いますが、この記事が少しでも役に立てば幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【食事に感謝】ご飯を一粒も残さず食べる意義について現役僧侶が解説！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/meal/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 21 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=790</guid>

					<description><![CDATA[日本において食材に困るということはないと言えるでしょう。 むしろ、食材が有り余っているせいか、食材への有難みや感謝の気持ちが薄れてきてしまっているように感じます。 これは私自身にも言えることで、僧侶となる前の俗人だった頃 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>日本において食材に困るということはないと言えるでしょう。</p>



<p>むしろ、食材が有り余っているせいか、食材への有難みや感謝の気持ちが薄れてきてしまっているように感じます。</p>



<p>これは私自身にも言えることで、僧侶となる前の俗人だった頃、特になにも考えず、さも当たり前のように食事をしていました。</p>



<p>ですが、修行に行き師匠から食材に対する感謝の大切さを学び、考えが１８０度変わりました。</p>



<p>その考えにより、食事をする際に感じる美味しさも変化した気がします。</p>



<p>この記事では、僧侶である私が修行時代に師匠から教わった食事における感謝の大切さを解説したいと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ご飯を一粒も残さず食べる意義</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">ご飯を一粒も残さないで食べる方法</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">食材に感謝するとより食事がより美味しく感じる！？</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">ご飯を一粒も残さず食べる意義</span></h2>



<p>食事をすると言うことは<strong>「命を頂くこと」</strong>というのは耳にしたことがあるでしょう。</p>



<p>この言葉は的を得ており、私たち人間は食事をしなければ生きていけません。</p>



<p>そして、その食事は生きていたものを殺し、加工されて私たちのもとへと来ますが、自分が生きるために命を頂いていると感じて食事をしている人というのは極稀でしょう。</p>



<p>食べることが当たり前でそういったことにはなかなか気づかないものです。</p>



<p>私たち僧侶は、この食事における食材への感謝をまずはじめに覚えることとして師匠から教わります。<br><strong><span class="marker-under">私たちが生きていられるのは、命を頂いた食材のおかげであり、しっかり残さず食べなくてはなりません。</span></strong></p>



<p>ちなみに、私の修行時代の食事はというと生き物は食べませんでした。<br>ご飯と野菜がメインの精進料理を思い浮かべたら分かり易いと思いますが、これはお釈迦さまのいた時代の僧侶の食事をマネており、修行中は特に生き物を食べないように気を付けます。<br>また、生き物でなくとも香辛料や一味などの刺激物も禁止されていました。</p>



<p>そして、食べる前と食後にお経を一巻ずつお唱えして、食事に対する感謝を心掛けて生活するのも修行の一環でありました。</p>



<p>このように、僧侶となって食材に感謝し、その経緯を改めて考えると食事をすることで、自ずと食事がいかに有難いかということと、残さず食べなくてはならないという使命感を感じると思います。</p>



<p><strong><span class="marker-under">食べれる分だけ茶碗に盛り付け、残さず感謝して食事を頂きましょう。</span></strong></p>



<h3><span id="toc2">ご飯を一粒も残さないで食べる方法</span></h3>



<p>食べれる分だけ皿に盛り付け、ご飯やおかずを食べるというのが当たり前であると思います。</p>



<p>バイキング形式のような場面では、ついつい欲張ってしまいがちですが、残してしまったらこれはよくないということです。</p>



<p>ご飯やおかずを残さず食べるのことは、やろうと思い至ればすぐにでもできます。</p>



<p>しかし、特にご飯のような茶碗にへばり付いたお米も残さず食べろと言われたらどのようにして食べますか？</p>



<p>のこさず食べるということは、そういったへばり付いたお米も含めて全部食すということなのです。</p>



<p><strong>ここで、私の師匠が実際に毎食行っている残さず食べる方法を紹介します。</strong></p>



<p>師匠は、綺麗にすべての食材を食べ終わるまで湯飲みには手を着けません。<br>そして、食べ終わった後に湯飲みに入れてある白湯をすべての茶碗や皿に流し入れ、一粒のお米も野菜から出た汁すらも白湯でかき集めそれを飲み、文字通りすべてを無駄にしないように食事をしていました。</p>



<p>正直、この食事の仕方を見た時は衝撃的であったのを覚えています。</p>



<p>ですが、これこそ残さず食べることなんだと感じ、食材に感謝し大切に食事をしなければならないと考えが改まったきっかけとなりました。</p>



<p>真の意味で残さず食べてみようと思う方は、この食事の仕方を実践してみるといいでしょう。</p>



<h3><span id="toc3">食材に感謝するとより食事がより美味しく感じる！？</span></h3>



<p>食事に感謝し、味わって食べることにより以前に比べ食事を美味しく感じるようになりました。</p>



<p>これは、私の修行時代の同期も同じことを言っており、たしかに変化があったように思います。</p>



<p>食材に感謝するということは、少なからず意識を集中して食事をします。<br>その影響で味を感じやすくなったのかもしれませんが、それとは別に有難いという気持ちで心を満たすことで、より美味しく思えてくるのです。<br>上手く説明できませんが、以前のように何も考えず当たり前と思って黙々と食べていた頃とはことなり、食材の気付かない美味しさにも気付き、気持ち的にも美味しく感じるのです。</p>



<p>これは、あくまで私の感想であり、皆さんが同じように感じるかは分かりませんが、私は心境の変化とともに美味しさも変わった気がしています。</p>



<p>もしかしたら、皆さんも食材に感謝して食事をすることで何かしら変化が生じるかもしれません。</p>



<p>是非実践してみてください。</p>



<h2><span id="toc4">まとめ</span></h2>



<p>ご飯は残さず食べるというのは常識でありますが、食材に感謝してご飯を食べている人は少ないことでしょう。</p>



<p>私も修行に行く前は、そのようなことは考えなかったですし、思い至ることもなかったでしょう。</p>



<p>ですが、改めて考えてみてください。</p>



<p>私たちは、食材がないと生きられないですし、様々な人の苦労により食材は私たちのもとに来るのです。<br>一善一善に感謝し、残すことがないよう食事をしましょう。</p>



<p>その際、師匠の残さず食べる方法を一度試してみてください。</p>



<p>きっと驚くほど綺麗に残さず食事を終えることができるでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>僧侶である私が師匠より教わったより良い日々を送る方法を紹介！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/better-days/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 Jul 2021 00:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
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					<description><![CDATA[日々生活していれば、人間関係から仕事の悩みまで様々な苦労や葛藤があると思います。 人間として生きていればそれは当たり前で、むしろ何も苦悩することがない方がありえないでしょう。 苦悩は、私も常々感じながらすごしていますが、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>日々生活していれば、人間関係から仕事の悩みまで様々な苦労や葛藤があると思います。</p>



<p>人間として生きていればそれは当たり前で、むしろ何も苦悩することがない方がありえないでしょう。</p>



<p>苦悩は、私も常々感じながらすごしていますが、そんな日々を少しでもより良い日々とする方法を修行時代に師匠から教わりました。</p>



<p><strong><span class="marker-under">それは、「</span><span class="marker-under">3</span><span class="marker-under">つの種を育むこと」だそうです。</span></strong></p>



<p>ここでいう3つの種とは、3つの行いのことをさし、これを大事に育てればより良い日々を送れるということだそうです。</p>



<p>この記事では、僧侶として私が師匠から教わったより良い日々を送る方法を紹介していきます。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">より良い日々を送るための3つの種</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">①体の健康</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">②家族の平穏</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">③感謝の心</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">より良い日々を送るための3つの種</span></h2>



<p>当時、修行僧だった私は師匠に「私が修行を終えてお寺に帰った時に檀信徒を導くうえで、僧侶としてどういった生活を心がければいいか教えて下さい」と尋ねたことがありました。</p>



<p>そこで教えていただいたのが3つの種の話です。</p>



<p>師匠は「まずは君自身が檀家のみなさんの前に立つ者としてこの3つの種を育み、生活してみなさい。そして、それを実践したうえで檀信徒のみなさんにも教えてあげなさい」と教えてくださいました。</p>



<p>3つの種は、種ということで毎日水をやり、大切に育まなければなりません。</p>



<p><strong><span class="marker-under">師匠から教わった通り、私は修行を終えてお寺に帰って来てから、この心がけを怠らずにすごしてきたことで、以前に比べ日々が充実し、より良いものへと変わったと実感しています。</span></strong></p>



<p>その体験をもとに、この記事を読むみなさんにも紹介していきたいと思います。</p>



<h3><span id="toc2">①体の健康</span></h3>



<p>一つ目の種というのが体の健康だそうです。</p>



<p>普段健康で毎日をすごしているときは何も感じないものです。</p>



<p>ですが、高熱が出て寝込んでしまったときや骨を骨折してしまったときに、はじめて健康って素晴らしいことなんだなと気づかされます。</p>



<p>健康な体でいられるということは、実はとても幸せなことなのです。</p>



<p>ですが、人間いざ苦しくなってからでないとそれに気づきませんし、病気が治ってしまえばその有難さも一瞬で忘れてしまいます。</p>



<p>たまに、病院に行くとたくさんの患者さんを目にしますよね。</p>



<p>点滴を着けて歩いている方や担架で運ばれている方を見ると健康の大事さに嫌でも気づくというものです。</p>



<p>ですので、一つ目の種としてまずは健康でいることの有難さを知ろうといことです。</p>



<h3><span id="toc3">②家族の平穏</span></h3>



<p>大金持ちでも健康であったとしても、家族の中でいがみあっていたらなんとも毎日がつまらないですよね。</p>



<p>むしろ、お金があるからこそ争っているご家庭もあるようです。</p>



<p>私も家族と上手くいってない時というのは、気持ちも沈みますし、常に胃がキリキリして健康にも悪影響がでてくると思えるほど嫌なものであります。<br>実際に、ストレスというのは様々な病気に関わってくるといいます。</p>



<p>逆に、家庭内が笑いあい上手くいっている時というのは、気持ちは高揚し、楽しい日々が送れているでしょう。<br>当たり前ですが、ストレスを感じなければ病気も減るでしょう。</p>



<p>ということで、家族の平穏が2つ目の種だそうです。</p>



<h3><span id="toc4">③感謝の心</span></h3>



<p>3つの種の中で一番大切なのがこの感謝の心だそうです。</p>



<p>私たちは、生きていくうえで様々な人や物に助けられて生きています。<br>それは、食べ物であったり、友達や家族など自分が考えている以上に他に支えられて自分が存在しているのです。</p>



<p>目には見えませんが、仏さまやご先祖さまも私たちを陰から見守ってくださっているのです。</p>



<p>そんな私を支えてくれるすべてに感謝し、生きていることそのものに感謝することができれば素晴らしいと私は思います。</p>



<p>しかし、常に感謝ばかりしていても疲れてしまいますし、感謝の気持ちを忘れた形式だけの言葉では意味がありません。</p>



<p>難しいことはありません。</p>



<p>まずは、身近な家族に良いことをしてもらったら、心をこめて「ありがとう」と伝えましょう。</p>



<p>家族同士で感謝を伝え合い、笑って生活できればそれは2つ目の種である家族の平穏にも繋がってきます。</p>



<p>家族が平穏であれば、ストレスを感じることはなく笑ってすごすことができ、一つ目の種である体の健康も達成できます。</p>



<p>ですので、感謝の心が一番大切であり、それを大事にしていれば2つ目の種と1つめの種も後から必ずついてくるということなのです。</p>



<h2><span id="toc5">まとめ</span></h2>



<p>この記事では、私が師匠から教わった3つの種について紹介しました。</p>



<p>師匠には「僧侶としての心がけ」を教わったのですが、これを実践したことで私自身の日々がより良いものに変わり、充実した毎日が送れています。</p>



<p>師匠が「実践したうえで檀信徒のみなさんにも教えてあげなさい」言われたように私が体験して良かったからこそ、この記事を読むみなさんにも紹介しようと思い至りました。</p>



<p>そんなに難しいことではないと思いますので、ぜひ実践してみてください。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>お坊さんはお経が上手いならカラオケは？現役僧侶が実体験をもとに解説！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/karaoke/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 15 Jul 2021 00:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
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					<description><![CDATA[「お坊さんは、毎日お経をお唱えしているからカラオケもさぞ上手なんでしょう？」と法事の際に聞かれたことがあります。 檀家さんのみなさんからすれば朗々とし、こぶしをきかせた声で発声するお経を聞いていればそのように思うのも無理 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>「お坊さんは、毎日お経をお唱えしているからカラオケもさぞ上手なんでしょう？」と法事の際に聞かれたことがあります。</p>



<p>檀家さんのみなさんからすれば朗々とし、こぶしをきかせた声で発声するお経を聞いていればそのように思うのも無理はありません。</p>



<p>また、曹洞宗の梅花流詠讃歌や真言宗の御詠歌などでは、音階があり歌のようなお経も存在するので、それを聞いてカラオケで歌う歌謡曲も上手だと思ったことも関係するでしょう。</p>



<p>しかし、実際の僧侶の歌唱力はいかがなものなのでしょうか？</p>



<p><br>この記事では、現役僧侶である私の実体験をもとに、そんな疑問にお答えしようと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">お坊さんはカラオケが上手い？</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">僧侶の歌唱力は如何ほど？私のまわりの僧侶で検証</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">僧侶の声の鍛え方を紹介</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">お坊さんはカラオケが上手い？</span></h2>



<p>最初に結論からいうと、<strong><span class="marker-under">お経で唱える声の出し方とカラオケで出す声では、声の出し方が大きくことなるため、一概にお坊さんだからカラオケも上手であるとはいえません。</span></strong></p>



<p>そもそも、カラオケで上手いと判断される条件は、音程を正確に出し、ビブラートや抑揚といった歌う技術を取り入れて歌うことで綺麗な曲として歌うことができます。</p>



<p>一方、お経はというと基本的に音階がないので、読む速度を一定に保ったうえで朗々とした声で発声します。<br>そして、私が考えるお経の上手さというのは、何より大前提としてお経を間違えずにお唱え出来るかということです。</p>



<p>お経の場合、重要視するところは外見より中身ということですね。</p>



<p>これだけみてもカラオケとお経では、だいぶ違いがあることが分かると思いますが、まったくカラオケに生かせないというわけではありません。</p>



<p>私自身、僧侶として長年お経をお唱えしてきて、数えきれないくらい喉をつぶし、それでもお経をお唱えして喉を鍛えてきました。</p>



<p>今では、並大抵のことでは喉がつぶれることはありません。</p>



<p>そして、その影響か声も変化してきました。<br>「味のある声」といえばいいのでしょうか…長年鍛えた喉で出す低い声は、昔より重みが増してきており、低音の歌をカラオケで歌うときはこぶしのきいた歌を歌えるようになりました。</p>



<p>それがカラオケにおける上手といえるかは分かりませんが、少なからず影響していることは事実でしょう。</p>



<h3><span id="toc2">僧侶の歌唱力は如何ほど？私のまわりの僧侶で検証</span></h3>



<p>私自身、カラオケが好きで空いた時間があれば一人でもカラオケへ歌いに行きますが、僧侶同士でも忘年会や新年会、または会議の後などカラオケに行く機会はあります。</p>



<p>そこで感じるのは、お坊さんは意外とカラオケが好きな人が多いことです。</p>



<p>私のまわりだけかもしれませんが、今まで百人単位で僧侶と知り合ってきていますが、カラオケが嫌いという人はあまり聞いたことがありません。</p>



<p><strong><span class="marker-under">そして、驚くのがみなさん総じて歌が上手いというより、聞き入ってしまう落ち着く声いうことです。</span></strong></p>



<p>上記で、お経とカラオケでは歌の上手さには関係がないといいましたが、僧侶は声を商売道具にしているだけあり、良い声質で引き込まれるような歌という特徴があるように思います。</p>



<p>例外としては、梅花や御詠歌を日々お唱えするような僧侶は、音階もとれており、いわゆるカラオケの採点機能でも高得点をとれるような、カラオケが上手な方達もおりました。</p>



<p>そこで私は、「カラオケが上手な先輩方にお経を読むことで、カラオケの上手さに関係してきますか？」と尋ねたことがあります。</p>



<p>回答は「<strong>カラオケの上手さにはお経は関係なく、歌は歌うだけ上手になる</strong>」とのことでした。</p>



<p><br>このことからも、お経と歌の上手さにはさほど関係がないということが分かります。</p>



<h3><span id="toc3">僧侶の声の鍛え方を紹介</span></h3>



<p>お坊さんだからカラオケが上手いわけではないと上記でお話ししましたが、僧侶の朗々とした味のある声というのは、一般の方ではなかなか出せないと思います。</p>



<p>仮に似たような声が出せたとしても、長くは続かずに喉を壊してしまう恐れがあるのでマネをすることはおススメしません。</p>



<p>お坊さんのような喉が潰れず、こぶしのきいた声を出すにはいったいどうすればいいのでしょう？</p>



<p>これは一言でいうと、お経をお唱えするうちに何度も何度も喉を潰しては治りの繰り返しの果てに身につく声であります。</p>



<p>一長一短でお坊さんのような声を出すことはできないのです。</p>



<p>私自身も祈願寺で勤めていたこともあり、お護摩修行のときに声を張り上げて唱えるお経の影響で何度も喉を潰して今の声を身に着けてきました。</p>



<p><strong><span class="marker-under">修行あるのみ</span></strong>、という言葉が一番適していると思いますが、言葉通り今までの積み重ねが声としてあらわれているのでしょう。</p>



<h2><span id="toc4">まとめ</span></h2>



<p>お坊さんは、毎日お経をお唱えし、声を使う商売だからこそカラオケも上手だと考える方も多いことでしょう。</p>



<p>しかし、実情はそれはあまり関係ないでしょう。</p>



<p>お坊さんの鍛えられた声質や音階がある御詠歌などのお経をよく唱える僧侶は例外として、お経をお唱えしていると歌が上手くなるということではないようです。</p>



<p>そもそも、お寺の住職と檀家さんが一緒にカラオケに行くという場面というのはほとんどないと思います。</p>



<p>ですから、イメージとして上手なお経を唱えるお坊さんは、歌もさぞ上手なのだろうと予測するのは当然かもしれません。</p>



<p>この記事では、私の実体験をもとに考察を含め紹介しました。</p>



<p>必ずしもお坊さんが全員この記事に当てはまるわけでないのでご理解いただければと思います。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>僧侶を目指すには心構えが必要！？真言宗の現役僧侶が一歩を後押し！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/attiube/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 11 Jul 2021 23:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
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					<description><![CDATA[これから僧侶を目指す寺院の跡継ぎの方、お寺の娘さんと結婚し在家であったが本山へと修行に行き僧侶となる方がいると思います。 私の場合は前者で、寺院の長男として生まれ、お寺の跡継ぎとなるべく修行を本山で積み僧侶となりました。 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>これから僧侶を目指す寺院の跡継ぎの方、お寺の娘さんと結婚し在家であったが本山へと修行に行き僧侶となる方がいると思います。</p>



<p>私の場合は前者で、寺院の長男として生まれ、お寺の跡継ぎとなるべく修行を本山で積み僧侶となりました。</p>



<p>正直なところ、私は僧侶となることに対し前向きに考えていませんでした。</p>



<p>というのも、それまで大学生で自由に暮らしていた生活から一変、頭をそり外界から切り離され、辛く苦しい修行に行かなければならないことへの不安や迷いがあったからです。</p>



<p>案の定、修行はとても大変で逃げ出したくなる気持ちを必死に堪えて日々をすごしていました。</p>



<p><strong><span class="marker-under">ですが、ある気持ちの変化で辛いとしか考えていなかった日々が、向上心へと変化し、修行が終わり僧侶となるころには修行に来てよかったと思えるようになりました。</span></strong></p>



<p>この記事では、これから僧侶を目指す方やその予定がある方へ向け、真言宗の修行を終えた僧侶としての修行へ向かう心構えを含めたアドバイスを紹介します。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">修行へ行く前の心構え</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">寺院で育ち、跡取りとして修行に行く方へ</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">お寺の娘さんと結婚し、寺を継ぐために修行に行く方へ</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">修行へ行く前の心構え</span></h2>



<p>僧侶を目指すうえで避けて通れないのが、各宗派で内容や期間はことなりますが外界と切り離された環境の中行う、昔の僧侶が行ってきたこととまったく変わらない修行をすることです。</p>



<p>修行は、宗派によって数か月～数年で、修行内容も過酷なものから気合があれば乗り越えられるものまで様々です。</p>



<p>ここで共通して言えることは、どの宗派の修行に行っても基本辛く苦しいということです。</p>



<p>そんな<strong>大変な修行に行くうえで必要になってくるのが心構え</strong>だと、私は実際に修行を体験して感じました。</p>



<p>心構え次第で、日々のお勤めに向かう気持ちも掃除に取り組む意気込みも大きく変わってきます。</p>



<p>その心構えとは、<strong><span class="marker-under">「やるのは決まり事項なのだから、どうせやるなら自身を高めよう」</span></strong>と、指示されて仕方なくやるのではなく、向上心を持って修行に取り組もうと思い至ったことでした。</p>



<p>この心構えを意識してからは、日々の辛さや苦しさというのは驚くほど変化し、むしろ楽しさすら感じるようになりました。</p>



<p>苦しい経験をした分、それが自分の技術力として身についていくというのは達成感があり、嬉しいものであります。</p>



<p>お寺を継ぐのであれば、いづれ修行に行かなくてはなりません。<br>緊張や不安に思う気持ちは私も経験したからわかりますが、どうせやるならこの心構えを持ち、自分を高める気持ちで修行に挑んではいかがでしょうか？</p>



<p>向上心を持ち、頑張った結果は必ずお寺に帰った後。檀家や信者さんのためになることでしょう。</p>



<h3><span id="toc2">寺院で育ち、跡取りとして修行に行く方へ</span></h3>



<p>私は、こちらのパターンでした。</p>



<p>みなさんも、子供の頃より寺の行事や棚参り等でお寺にふれて育ち、まわりの檀家さんからは期待されてきたことと思います。</p>



<p>正直、私の場合はそれが重圧となり、僧侶になんて絶対ならないとさえ考えていました。<br>学校のクラスの中でお寺の行事の度に頭を剃り、クラスメイトにからかわれた経験からもそう思った要因となったのでしょう。</p>



<p>そして、現代社会において昔ながらの辛い修行を受けるため本山に行き、スマホやテレビも取り上げられて、友達や家族と会えない日々を送るというのはなかなか大変に感じることでしょう。</p>



<p>しかし、最初は様々な日常の変化に戸惑うでしょうが、上記の<strong>心構え</strong>を意識するだけでより良い修行となり、修行の日々が辛いとは感じなくなってきます。</p>



<p>やるのは決定事項です。</p>



<p>であるならば、ここはひとつ実際に変わった私の経験を信じて実践してみてください。</p>



<p>きっと辛い日々が少しづつ変わってくるはずです。</p>



<h3><span id="toc3">お寺の娘さんと結婚し、寺を継ぐために修行に行く方へ</span></h3>



<p>このケースは意外と多いように感じます。</p>



<p>私の修行時代の同期が30人いるのですが、半数は在家で寺に婿として入った方がおりました。</p>



<p>昔は、寺に多くの小僧さんがおり、その中から優秀な人材だけ本山に修行に行かせてもらっていたようですが、現代は空き寺が増えそんな余裕すらありません。</p>



<p>お寺の娘と結婚し婿として跡継ぎになる場合、事前にそれを知ったうえで覚悟をもって結婚にい至っていることと思います。</p>



<p>ですので、寺で育った人間と比較すると覚悟や向上心が高い印象があります。</p>



<p>それでも辛いのが修行であります。<br>婿入りした寺のため、待ってくれている奥さんのために少しでも高みを目指し、修行に励んでいただきたいですね。</p>



<p>どうしてもくじけそうなときは、私の心構えを思い出してみてください。</p>



<p>きっと良い方向に変化があるでしょう。</p>



<h2><span id="toc4">まとめ</span></h2>



<p>これから僧侶を目指すものにとって、不安はつきものであります。</p>



<ul><li>しっかり修行を終えることができるのか？</li><li>自分みたいな能力の低い人間に修行は耐えられないのでは？</li><li>修行に入ってからは、逃げ出したいと思ってしまう</li></ul>



<p>これは、私が本山に行く前と修行中に思っていたことです。</p>



<p><strong><span class="marker-under">そんな私でも、紹介した「心構え」を頼りになんとか免許皆伝することができました</span></strong>。</p>



<p>辛いことを歯を食いしばってやり遂げることが修行であります。</p>



<p>逃げ出したいときは、是非この心構えを意識して乗り越えていただければ幸いです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「形見わけ」について僧侶の視点で解説！志を受け継ぐ気持ちが大切！？</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/distinguishing/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 07 Jul 2021 00:02:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=586</guid>

					<description><![CDATA[人が亡くなると遺族は、亡くなった故人の遺品を分配して相続します。 そして、故人の思い出として常時携帯したり、または大切に保管していることと思います。 これが一般的な「形見分け」のイメージするところでしょう。 しかし、それ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>人が亡くなると遺族は、亡くなった故人の遺品を分配して相続します。</p>



<p>そして、故人の思い出として常時携帯したり、または大切に保管していることと思います。</p>



<p>これが一般的な「形見分け」のイメージするところでしょう。</p>



<p>しかし、それは形式的なもので本来の意味を知っている方は案外少ないかもしれません。</p>



<p>そして、私自身僧侶として先代の住職より形見分けを受ける以前、生前の住職よりいわれた言葉があります。</p>



<p>それは「<strong><span class="marker-under">私が死んだら衣鉢をつぐものとして精進しなさい</span></strong>」という言葉でした。</p>



<p>この言葉の真意について。また、僧侶である私が思う「形見分け」について考えていきたいと思います。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-12" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-12">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">形見分けの本来の意味</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">形見分けをすることで徳を積める？</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">僧侶視点で形見分けを考える</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">形見分けの本来の意味</span></h2>



<p>「形見分け」は、亡くなられた方が普段使っていた品物や来ていた着物などを身近な親しい人に遺品として分けてあげることをいい、葬儀が終わってしばらくした後に行います。</p>



<p>「形見分け」は、いただいた品を手にするたびに、亡くなられた方のことを思い出して、その遺徳をしのび、、生前に行ってきた立派な行いをまねて、<strong><span class="marker-under">少しでも善行を積むように努めようとする心をおこさせることが本来の意味するところ</span></strong>であるそうです。</p>



<p>昔は、着物に霊が宿ると考えられていて、着物の形見分けは重要な儀式の一つだったようです。</p>



<p>実際、そこまで考えて相続を受ける人はどれくらいいるでしょうか。</p>



<p>むしろ、相続の品を巡って遺族内で争うといった話も耳にしますが、これは本来の意味からするとかなりかけはなれている気がします。</p>



<p>残した遺品で遺族が争う…</p>



<p>亡くなった故人はどう感じるでしょう。</p>



<p>最近では、終活などといい亡くなる以前に各種手続きや手配を済ませ、残された遺族に迷惑をかけないようにするという言葉がでてきました。</p>



<p>相続争いを避けるため、終活を進めようとする気持ちもわかる気がします。</p>



<h3><span id="toc2">形見分けをすることで徳を積める？</span></h3>



<p>形見分けは、亡き人の持ち物を分かち与えることで、<strong><span class="marker-under">布施の功徳</span></strong>を積むことができます。</p>



<p>その形見をもらった人も同じように、自分の持っている品物を他に分かち与えようとする心をおこさせます。</p>



<p>さらに、物に対する執着心、貪欲の心を少しでもなくすようにするために行うのが「形見分け」なんだそうです。</p>



<p>ところが、川柳で「泣きながらよい品えらぶ形見分け」といわれるように、欲がむき出しになったみにくい姿を見せ合う光景がままあるのは悲しいことです。</p>



<h3><span id="toc3">僧侶視点で形見分けを考える</span></h3>



<p>僧侶である私が考える形見分けとは？</p>



<p>私が先代から形見分けを受ける以前に言われた「<strong>私が死んだら衣鉢をつぐものとして精進しなさい</strong>」という言葉について深く考えさせられました。</p>



<p>そもそも「衣鉢をつぐ」というのはお坊さんの間で、お師匠さまの衣を遺品としていただいたときに師匠の教えを受け継ぎ、守っていくという誓いをあらたにするという意味だそうです。</p>



<p>先代は、なぜ生前にこの言葉を言ったのか当時深く考えさせられました。</p>



<p>私の解釈は、教えを含め僧侶としての姿を学び、死後それをしっかり引き継いでいきなさいと言われたのだと今では思うところではあります。</p>



<p>ですので、私も先代から遺品として衣をいただいた際は、身が引き締まる思いとともに先代のように立派な僧侶になるという意気込みのもと形見をいただきました。</p>



<p>お坊さんの衣は、先代から代々受け継がれてきたものです。</p>



<p>それをまた次の世代に引き継ぐのが、僧侶となった私の使命でもあります。</p>



<div style="height:36px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<p>結論としては、僧侶として私は形見分けを通し、先代の志を受け継ぎ、寺を守っていく上で先人の姿を心の頼りに生きていくことが大切であると考えています。</p>



<p>先代のように、僧侶のあるべき姿を次代に見せ、志とともに引き継いでもらえれば最高ですね。</p>



<h2><span id="toc4">まとめ</span></h2>



<p>私は、<span class="marker-under">形見分けは単なる財産分与ではないと思います</span>。</p>



<p>また、残した財産がもとで遺族が争ったとしたら、亡くなった故人はたまったものじゃないでしょう。</p>



<p>むしろ、本来の形見分けの意味からはずれ、財産分与という認識だからこそ、そういった問題も起こってしまうのではないでしょうか。</p>



<p>いただいた故人の志を受け、どう受け取るかはひとそれぞれです。</p>



<p>僧侶としての私は、先代の志を継げるよう努力するべきと考えます。</p>



<p>しかし、子供は親の生き方を見て育っていきます。<br>おそろしいほど親子のしぐさや考え方は似てくるものです。</p>



<p>みなさんも我が子に与える形見は、どんなものをのこしたらよいか考えたことはあるでしょうか？</p>



<p>また、思い出してもらったときに恥ずかしくない態度を日々とれているか、今一度考えたいものです。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>一日の始まりはご先祖様にご挨拶！現役僧侶が気持ちのいい朝のルーティンを紹介！</title>
		<link>https://www.osiete-obohsan.com/morning-routine/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[クバさん]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 06 Jul 2021 00:46:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ちょっと役に立つ話]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.osiete-obohsan.com/?p=578</guid>

					<description><![CDATA[人間、生きていれば楽しい気分で迎える朝、気分が重くなかなか行動できない朝と様々です。 私自身も現役の僧侶ではありますが、気分が乗らない朝というのはもちろんあります。 ですが、私は修行時代から欠かさず行ってきたルーティンを [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>人間、生きていれば楽しい気分で迎える朝、気分が重くなかなか行動できない朝と様々です。</p>



<p>私自身も現役の僧侶ではありますが、気分が乗らない朝というのはもちろんあります。</p>



<p>ですが、私は修行時代から欠かさず行ってきたルーティンをすることで、朝食を食べ終わるころには「今日も頑張るぞ」という気分でお寺につとめることができています。</p>



<p>朝ごはんは一日で一番重要と言われますが、気分においても一日が始まる朝だからこそ良いものにしたいですよね。</p>



<p>この記事では、現役僧侶である私が師匠から教わった朝のルーティンを紹介します。</p>



<p>やることはたった一つですので、是非取り入れていただければ幸いです。</p>




  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-14" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-14">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">生活リズムはとても大切</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">まず最初にやることはご先祖さまへお参り</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">毎日行う僧侶の朝のルーティン紹介</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">まとめ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">生活リズムはとても大切</span></h2>



<p>私は僧侶になる前は学生だったので、山にこもって修行する以前は昼夜逆転の堕落的な生活をしていました。</p>



<p>そんな非健康的生活をしていましたが、ご縁があり真言僧侶となるべく、卒業後すぐに山にこもることになりました。</p>



<p>まず、本山に修行に行って変わったことで一番大きかったのは、<strong><span class="marker-under">生活リズムの変化</span></strong>です。朝は4時に起きて夜は9時就寝となり、睡眠時間はとれていますが学生時代とはそれこそ真逆の生活リズムとなりました。</p>



<p>ですが、辛かったのは体が慣れない1.2週間で、その後は目覚まし時計がなくとも体が勝手に起床するようになってきました。</p>



<p>ここで驚いたのが学生時代に感じていた日中の気怠さや倦怠感が抜け、体調が整ってきたことでした。それだけでなく、気分的にも清々しく毎日を送れるようになっていました。</p>



<p>このように、日々の生活において<span class="marker-under">体や心に良い行動習慣を心がけることはとても</span><span class="marker-under">大切</span>なのです。</p>



<p>とはいっても会社の都合上、規則正しい生活はなかなか送りたくてもできない方もいらっしゃると思います。</p>



<p>そんな方でもできる、私が修行時代に師匠から教わった朝のルーティンを紹介していきます。</p>



<p>やることはたった一つですので気負いせず行っていたければ幸いです。</p>



<h3><span id="toc2">まず最初にやることはご先祖さまへお参り</span></h3>



<p>朝は昼間と違い、早起きするとまわりの音も静かで気が引き締まる思いになります。</p>



<p>そんな朝だからこそ、まず一番最初に行うのが<strong><span class="marker-under">仏さま・ご先祖さまに対しての仏壇へのお参り</span></strong>です。</p>



<p>私が師匠からこれだけは行うべきと、口酸っぱく教えていただきました。</p>



<p>私たちを陰から見守ってくださっている仏さま・ご先祖さまにお経を唱え、日ごろの感謝と今日一日の安全をお祈りするのです。</p>



<p>時間がないようでしたら日々の感謝と「おはようございます」「今日も一日、私たちを見守ってください」などの挨拶だけでもかまいません。</p>



<p>重要なのは、仏壇に向き合い気持ちを落ち着かせて、至心にお祈りをする時間を作ることなのです。</p>



<p>やることが多い朝ですが、いつもより5分早く起きて至心にお祈りするだけで驚くほど清々しい気持ちになるでしょう。</p>



<p>私のお寺の檀家には、強制ではありませんが皆さんにおすすめしています。</p>



<p>意外に実践される方が多く、なかには「この習慣のお陰でお経暗記しました」とか、「ご先祖さまに見守っていただいてると感じ安心します」といったお声をいただいています。</p>



<p>是非みなさんも実践してみてください。</p>



<h3><span id="toc3">毎日行う僧侶の朝のルーティン紹介</span></h3>



<p>僧侶である私自身の朝の流れもあわせて紹介します。</p>



<div class="wp-block-cocoon-blocks-timeline timeline-box cf block-box has-point-color has-orange-point-color"><div class="timeline-title">僧侶の朝の流れ</div><ul class="timeline">
<li class="wp-block-cocoon-blocks-timeline-item timeline-item cf"><div class="timeline-item-label">4時</div><div class="timeline-item-content cf"><div class="timeline-item-title">起床</div><div class="timeline-item-snippet">
<p><span class="marker-under">起床後、すぐに仏壇へお祈り</span></p>
</div></div></li>



<li class="wp-block-cocoon-blocks-timeline-item timeline-item cf"><div class="timeline-item-label">4時30分</div><div class="timeline-item-content cf"><div class="timeline-item-title">境内の掃き掃除</div><div class="timeline-item-snippet">
<p></p>
</div></div></li>



<li class="wp-block-cocoon-blocks-timeline-item timeline-item cf"><div class="timeline-item-label">5時</div><div class="timeline-item-content cf"><div class="timeline-item-title">朝の勤行</div><div class="timeline-item-snippet">
<p>※あくまで私のお寺の工程はこの時間になっていますが、勤行時間は寺それぞれです。</p>
</div></div></li>



<li class="wp-block-cocoon-blocks-timeline-item timeline-item cf"><div class="timeline-item-label">6時</div><div class="timeline-item-content cf"><div class="timeline-item-title">朝食</div><div class="timeline-item-snippet"></div></div></li>
</ul></div>



<p>このような流れで朝を過ごしています。</p>



<p>私は、4時に起きて仏壇に手を合わせますが、この時間は人それぞれでいいと思います。</p>



<p>上記でもお話ししましたが、都合によって起床時間はことなることと思います。<br>無理のない範囲でいつもより5分早く起きてお参りしてみましょう。</p>



<p>ちなみに私は、出先でもこのルーティンは欠かさず行うようにしています。</p>



<p>無理のない範囲でまずは行動してみてください。</p>



<h2><span id="toc4">まとめ</span></h2>



<p>朝心がけるのはたった一つだけ。</p>



<p><span class="marker-under">起床したら仏壇に向かい、朝の静かな空気の中でお仏壇に手を合わせ、仏さま・ご先祖さまにお祈りするということだけです</span>。</p>



<p>いかがでしょう、朝起きるのが苦手の方も5分だけ早く起きて実践してみてください。<br>きっと気持ちも落ち着き、気分も清々しいものとなるでしょう。</p>



<p>それだけでなく、お祈りしていると必ず日ごろの行いを悔いる気持ちになってきます。<br>それを少しずつ改善していけば、人間としても改善し、より良い日々、一日がおくれることと思います。</p>



<p>是非試していただければその日１日が少しでも良いものとなるでしょう。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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